ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

個人の尊厳を無視する表現の自由は存在しない。

 あのね、多様な価値観とか言論の自由とかエラソーに説いているがね、個人の尊厳を無視して多様な価値観やら言論の自由やらを議論することは無意味。個人の尊重という価値からさまざまな人権が導き出される。したがって、個人の尊重を放棄するのなら、同時に表現の自由を含めた人権は直ちに存在理由を失う。
 ひきこもり当事者女性を「性的にあてがう」なんてことは、ひきこもり当事者女性の個人の尊厳を踏みにじるものである。それを「正当な言論」とするのなら、個人の尊重という価値を放棄することである。個人の尊重という価値を放棄するのなら、もはや言論の自由を保障する必要すらなくなる。

 個人の尊厳という最も重要な価値観を共有するつもりがない人間が、ヴォルテールなどを持ち出して「言論の自由」を説くなんて、へそが茶を沸かす。

 つまりね、こういうことなんですよ。

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