ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

2021年2月の「庵」に関してわたしが書く記事は、わけあって「角度」が強めについてます

 我ながら実にねちねちねちねち「庵」について書いてきたと思う。ここまでねちねちねちねち書いたのは、わたし自身が紛争当事者になったためだ。最初のうちこそ第三者として書いていたのだが、だんだんときな臭くなり、決定的だったのはわたしに対して脅迫してきた人間が「向こう」についたこと。差別発言をいさめたら、そのことに対して逆上し、わたしに対して脅迫してきた人がいた。その人は、わたしがそのことをネットで公表したらさらに逆上、警察に文句をつけに行ったらしい。警察で当たり前のように厳重注意され、お仲間向けには謝罪を発表。しかし、被害者であるわたしには何もなし。未だに被害回復されてない。そんな人が、「向こう」についたわけだ。しかも、そんなことをやらかした人を、「大変なことがありましたね」と「ねぎらう」人も「向こう」にいた。ここに至って、加害者対被害者という構図ができてしまった。わたしが被害者ね。そりゃあ、わたしだって怒りますよ。文章に強めの角度をつけますよ。

 わたしがこのことを書けば、どうせまたお説教されるんでしょうよ。わたしを脅迫してきた人の業績を根拠に。業績がある人が犯罪行為をしても、被害者は我慢しなければいけないらしいね。脅迫した人が誇らしげに新聞に掲載されたのを紹介してた時、わたしは被害回復が一切なされてないと声を上げた。そうしたら、なんと、わたしに対して、「何かをやらかした時の団体としての対応」を説教する人がいたのだ。本当に何を考えてるのだろう。やらかしたほうに説教してくれよ。

 と、そんな個人的な恨みがあるので、「角度」が強めについてます。客観的に見えても、被害者感情はそれなりに盛られてます。

 被害者感情が盛られているわたしの文章を第三者がそのまま読まれるのは本意ではない。わたしはそりゃ被害者感情あるから書きますけど、第三者であるあなたには被害者感情ないでしょ?被害者感情を理由に何かを動かそうとしないでほしい。何かを動かすのなら、あなたの意思と責任でってことを忘れないでほしい。被害者を盾にしないでってこと。被害者が客観的にものを考えられないのはわたし自身十分にわかっている。被害者は被害者の立場でものを言う。だけど、被害者の立場なるものが絶対的な正義とは考えておらず、一方当事者の主張と考えていただきたい。両当事者からヒアリングできるはずの第三者が取るべき立場は、被害者が取る立場とは違う。