ふらふら、ふらふら

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ソーシャルグッド業界で見られたハラスメントをもみ消した「構図」、25年前の筑豊でも

 以前読んだ本。

www.hanmoto.com

 この本はのちに朝日新聞出版から文庫化されたが、こちらも絶版とのこと。同書の大部分はYahooニュース内の藤井誠二さんの連載で読めるのでリンクしておく。

news.yahoo.co.jp

 前回の記事でも取り上げたような、ソーシャルグッド業界でハラスメントをもみ消した「構図」が、25年前の筑豊で、それも体罰殺人事件で見られた。体罰殺人犯の教員の刑事責任を少しでも軽くしようと、学校にゆかりのある人間たちが減刑嘆願署名を始めたのだ。署名活動の代表者は、次のように裁判で陳述したという。

「私たちが最初の努力目標ははるかに越えたと思っています。嘆願署名用紙にも若干書きましたけども、宮本先生は人間的なあたたかみや責任感があり、卒業生や卓球関係者と親密な交際を続けてきたことが、この数字を生んだのだと思います。近大附属の単球部では、卒業のたびに卒業を祝うパーティーを宮本先生は欠かさずひらいていますが、私も何回も出席をしたことがあります」(前掲書より引用)

 そうして、なんと7万5千もの署名が集まるのだが、その署名の過程で、被害者についての誹謗中傷が拡散することになる。体罰殺人犯の減刑を嘆願し、さらに被害者を誹謗中傷する。人々をそこまでに駆り立てたのは、「あのいい先生が体罰をするなんてよっぽどのことがあったに違いない」と、加害者の犯罪行為を無視して、加害者の「人望」ゆえだった。

 加害者への「支持」、加害者の「人望」、そんなものによって、暴力加害の責任をもみ消そうとした。「教育」という、「全体の利益」のために、個人の感情(いや、感情なんてものではない。現に命を奪った犯罪被害である)を無視して清濁併せ飲んだ結果であった。そして、それは、前回取り上げた、日本聖公会京都教区の事件と共通した構図だった。

 前回・今回と、二度にわたって取り上げてきたこの構図。近大付属女子高校にゆかりのある筑豊の人々や、日本聖公会京都教区の人々だけの問題ではない。そのことは、2020年ごろから明るみに出た、ソーシャルグッド業界における数々のハラスメント事案を見ればわかることである。無自覚のうちに、このような構図に棹差すことは誰もがありうる。わたしも、だ。そのことを肝に銘じたい。