ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

東中野で「街」を見てきた

 ポレポレ東中野に行ってきた。交通費の節約のために、東西線落合駅から歩く。行きは二車線の、車の通行量が多くない道を歩く。沿道には面白そうな店がたくさんある。
帰りは、山手通りを歩く。歩いていてあまり楽しくない山手通り。クルマが通過するだけの通りなので、歩く人が立ち寄る店はあまりできにくい。

 鈴木智之「不在の場所――春日部にみる「町」と「道」のつながり/つながらなさ」(『国道16号線スタディーズ』塚田修一、西田善行編著、青弓社、2018年所収)を改めて思い起こす。クルマで移動する場所には、「街」は生まれない。クルマで移動する人たちは、点と点しか意識しておらず、途中通過する道の沿道にあるものを意識しない。それゆえに、ロードサイドには「街」は生まれない。ひとが歩くところに、「街」は生まれる。

 東中野は、まさにひとが歩くところなので、「街」ができる。これが、『国道16号線スタディーズ』で描かれた春日部との大きな違いだ。春日部のような風景に類似したものは、23区内でも環七通りなど、たくさんの車を流すことを目的とした構造の道沿いに見られる。

 ただ歩くだけで、いろいろ考える一日であった。

www.hanmoto.com