ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

タイムラインはずっと前から始まっていた〈さらに追記・改稿しました〉

 とある巨大掲示板の、とあるひきこもりに関するスレで、こんな書き込みを見つけた。スレ自体が悲惨な誹謗中傷の場になっているので、出典は示さない。

他所様を手にかける前に親は製造者責任で失敗作を殺処分しとけよ。

 このようなレスが平然と書きこまれるに至るには、長いタイムラインがあった。そのタイムラインの登場人物に、遺憾ながら、活発に活動をしていたひきこもり当事者コミュニティがあったことを指摘しなければならない。

 この書き込みはひきこもり当事者の価値を値踏みし、人間の尊厳を害するものだ。しかし、ひきこもり当事者活動コミュニティの中でも、他人の価値を値踏みする動きはあった。「人望」とやらで値踏みして、「価値が低い」とみなした人間には犯罪予告だろうと誹謗中傷だろうとやりたい放題やっていいとの考えを、一部かもしれないが、ひきこもり当事者活動コミュニティは温存し続けた。それに対して自浄作用は働かなかった。

 ひきこもり当事者も含め、皆が、他人の価値を値踏みすることにを当たり前にやってきた。そんな風潮を放置してきた延長線上に、冒頭に引用した書き込みがある。その値踏みの極端な例として、「価値が高い」人間が人権侵犯に及んだ時、周囲の人間は「価値が高い人間」の擁護に走ることを二つの事例をもとに見てきた。

syou-hirahira.hatenablog.com

syou-hirahira.hatenablog.com 他人の価値を値踏みして、人権侵犯に及ぶ構造は、どこにでもある。わたしもやっているだろう。同じようなことは、わたしたちも、やってきた。わたしたちも、安全圏にいるわけではない。冒頭に引用した書き込みをするような人たちは、わたしたちからかけ離れた悪魔ではない。冒頭に引用した書き込みは、わたしたちがたどってきたタイムラインの一部だ。

追記

 「ひきポス」ウェブ版に記事が掲載された。当該記事の冒頭にも注意書きがなされているが、明らかな憎悪扇動が引用されている部分があるので、閲覧される際は注意されたい。

www.hikipos.info その上で、あえて苦言を呈する。ひきこもり当事者活動コミュニティで過去行われた数々のハラスメント、人権侵犯に関して、未だに適切な被害回復は行われていない。それどころか、文句があるなら警察に行けとまでのたまう人間がいる始末。

 わたしは外様なので遠慮なく言う。これは、人権侵犯に関して無為であった、ひきこもり当事者活動で「人望」とやらのある人すべてへの警鐘だ。今回はたまたま「ひきこもりとうじしゃ」が標的だったので、ひきこもり当事者活動コミュニティの反応を呼び起こした。一方で、ひきこもり活動家が「じょせい」や「せいてきまいのりてぃ」に人権侵犯を行ったことに対しては、コミュニティは、無為であった。それどころか、「全体の利益のためには清濁併せ呑む度量が重要」などと、「実績も人望もある」人の人権侵犯を免責する者さえいた(下記参照)。

 未だに、このツイートに対し、わたし以外が反論している様子は見えない。そのことを考えれば、今回の事案は、人権に関して各人が認識を改めるケーススタディの機会ができたとして、慶ぶべきこととも言える。「全体の利益のために個人の感情を無視して清濁併せ呑む」とは、前述「ひきポス」記事に引用されている、「名も無き哲学者」氏の、2022年9月19日の0時01分の投稿にあるような行為を行うことを許容することだ。

さらなる追記

 この記事を書いてほぼ一か月が経とうとしている。当初、ひきこもり当事者活動コミュニティに大きな波紋を投げかけるだろうことを期待して書いたこの記事だが、ほとんど何の反応もなかった。それは、先にリンクした「ひきポス」の記事も同様で、まるで何事もなかったかのようだ。この案件を機として、ひきこもり当事者活動コミュニティにおける人権侵犯やハラスメントにどう向き合うか、喧々諤々の議論が巻き起こることを期待した。その期待は、裏切られた。わたしは、悲観的な見方をせざるを得ない。ひきこもり当事者活動の場で、再度人権侵犯が起きた時、おそらくは、適切な被害回復はなされないだろうと。相も変わらず、「人望」や「功績」を重視して判断し、正当な権利を訴えるただ一人の声はかき消されるだろう、と。