ふらふら、ふらふら

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マジョリティが気にも留めない「自動ドア」

 「差別はたいてい悪意のない人がする」(キム・ジヘ著、尹怡景訳、大月書店)刊行記念イベントに参加した。その時の様子は、大月書店のアカウントで一部が紹介されている。その中からふたつ。上智大学の出口真紀子さんの発言を紹介したもの。

 マジョリティが当たり前のように通っていく場所を、マイノリティは苦労して通らなければならない。そんな趣旨の発言だった。わたしは、つい最近、そんな実例を耳にしたのでこれを紹介する。

 その方は、就職の時に身元調査を受けたとのこと。就職試験を受けた会社から調査の人がやってきて、家の構えを見て、両親と面接して、それで採用されたとのこと。その方に聞いてみると、そんな身元調査をなんとも思ってなかった。半世紀以上も。ついこの間話を聞いたときも、身元調査はいいんじゃないかと言っていた。そこでわたしが、身元調査は部落差別に使われていたし、ひとり親家庭の子どもを採用しないためにも使われていたと説明したらあっさりと考えを翻した。その方は、本当に、身元調査がどういうものなのか知らなかった。自身はマジョリティで、「自動ドア」を何の苦労もなく通過したから。他人の痛いのは百年でも平気なのは、他人が痛みを感じていることを知らないからでもある。

 わたしが知る範囲でも、そんな人はいくらでもいるんだよなあ。自身がマイノリティの立場にあることで通過できない自動ドアには敏感でも、自身がマジョリティの立場になった時には途端に鈍感になる人が。さて、こんな人に、どうやって知らしめるか。自動ドアの存在を知らしめようにも耳をふさいでるんだよなあ。それでも、自身がマイノリティ性を帯びている問題に関してはいっぱしのことを言えたりする。

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