2021年2月「庵」失敗の探究
過去何度か書いてきた、「IORI」と言うイベントが、この8月の開催で定期開催を終了した。とにもかくにも10年続けてこられたのは本当に幸いなことであったと思う(皮肉ではないですよ)。どんな意見もフラットに話すことができる、どんな人も受け入れる場を…
昨年秋、内田樹さんが、ひきこもり当事者に過疎地の里山での仕事を「マッチング」することによって里山の荒廃を防ごうなんて意見を述べていた*1。当然のことながら、この意見はひきこもり当事者の間ではたいそう評判が悪かった。賛同の意を表したひきこもり…
我ながら実にねちねちねちねち「庵」について書いてきたと思う。ここまでねちねちねちねち書いたのは、わたし自身が紛争当事者になったためだ。最初のうちこそ第三者として書いていたのだが、だんだんときな臭くなり、決定的だったのはわたしに対して脅迫し…
「アジール」としての「ひきこもりムラ」 「ひきこもり社交界」なる、よく考えたらちょっと語義矛盾してない?と思えてしまうようなソサエティがある。「平たく言えば、埼玉含む南関東+甲信地方(とくに山梨)を中枢に、全国のひきこもり関係者(の一部)の…
あのね、多様な価値観とか言論の自由とかエラソーに説いているがね、個人の尊厳を無視して多様な価値観やら言論の自由やらを議論することは無意味。個人の尊重という価値からさまざまな人権が導き出される。したがって、個人の尊重を放棄するのなら、同時に…
簡潔に問題点を整理 ここまでのぼそっと池井多さんの対応について、問題点を要約すると次の二点になる。 (1)性差別的な発言を「表現の自由」の名の下に放置したこと(2)そのような未熟な語彙しか持たない発言者が語ったことを、不用意にそのままの形で…
ある当事者間に力の格差があるとき、ただ沈黙することが、力の強い者への賛同になることがある。その典型例は1994年のルワンダ虐殺である。国連広報センターが、ルワンダ虐殺とそれに対するルワンダ国際戦犯法廷の活動を紹介した動画を公開している。当時、…