ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「めいわく」を批判したのか、「人間の尊厳を害すること」を批判したのか、それが問題だ

アジール」としての「ひきこもりムラ」

 「ひきこもり社交界」なる、よく考えたらちょっと語義矛盾してない?と思えてしまうようなソサエティがある。「平たく言えば、埼玉含む南関東+甲信地方(とくに山梨)を中枢に、全国のひきこもり関係者(の一部)の間に形成された人間関係のネットワークと、そこにおいて展開される諸々の社会活動の総称」(ヨナタン・リビングストン「ひきこもり新聞の起源とひきこもり社交界への招待~ヨナタンからの手紙~ 第二回」ウェブ版ひきこもり新聞)である。その詳細は、ヨナタン・リビングストン氏による次の3つの記事を参照されたい。もっとも、これらの記事を読まなくても、このエントリは読めるようにはしてあるので無理して読まなくてもよい。

www.hikikomori-news.com

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 この「ひきこもり社交界」は、「世間ムラ」から弾き飛ばされたひきこもり当事者(の一部)の、いわば「アジール」として機能している。わたしも、「ひきこもり社交界」の端っこくらいには入っていて、むさくるしいけど(←これ重要。あとで書く。)居心地のいいソサエティである。そうそう、ここからは「ひきこもり社交界」を「ひきこもりムラ」と呼ぼう(その理由も後述)。この間取り上げた「庵」も、「ひきこもりムラ」の重要な部分を構成している催しである。

「ひきこもりムラ」の構成員の偏り~個人的な体験も含めて

 ところで、この「ひきこもりムラ」、構成員が、ある程度豊かな家庭に育った、首都圏に住む男性が中心になっている。その理由についてはいろいろあるが、そのすべてを語るほどの力はわたしにはない。ひとつだけ指摘しよう。「ひきこもり」概念が、1980年代後半に筑波大学の附属病院で診療をしていた斎藤環さんが見出した概念である。大学病院の外来にわざわざやってくるなんて、そこそこ豊かでないとできない話である。しかも、女性は「家事手伝い」などとされ、大学病院の外来に連れてこられることはなかったのではないか。「ひきこもり」概念の発祥がこのような場であったことが、「ひきこもり」概念に大きく影響を与えている。それは、生活のしづらさを抱えた人の誰を「ひきこもり」とカテゴライズするかにも影響している。そして、それが、「ひきこもりムラ」の構成員の偏りにさえ影響している。

 「ひきこもりムラ」の構成員が偏っていることは、「ムラ」の構成員が持っている価値観の偏りにも影響していると考えられる。男性中心の「ムラ」の構成員が、男性中心の価値観を持っているのは当然のことだろう。そう、男子校の生徒がそうであるように。だから、「むさくるしい」。実際、先に紹介した「『ひきこもり社交界の実態について(前編)』ヨナタンからの手紙 第3回」には、「はっきり言って男ホモソそのもののようなタイプの引きこもり交流の場を「男子会」と一言書かないのは何故なんでしょう。(不親切だと思う)ネットなどで女性がそういう場で嫌な思いをしたという話はちらほら聞いていて、参加者の9割8割を男性が占めているならばもう「男子会」と書くべきではないかと思います。女性が情報を得て自衛しろというのでは一方的に被害者になりうる側にだけ負担を強いていると思う。」とのコメントが寄せられていた。

 わたしが「ひきこもりムラ」に出入りし始めた頃のこと。わたしとはずいぶん違った家庭環境の人たちばかりで、天を仰ぐような感覚であったことを告白せねばならない。わたしは、6畳二間の狭いアパートに家族4人が生活するような、そんな貧しい家庭で長いこと過ごしてきた。テレビさえずいぶん後になるまで家に1台しかなかったくらいである。2000年代にNHKがひきこもりサポートキャンペーンを行い、多くの人間が動員されたときもわたしは蚊帳の外だった。あとから、図書館で読んだ本で知った。そういう環境にいる限り、生活のしづらさを「ひきこもり」とはカテゴライズされにくい。もっとも、わたしは「ひきこもり」とカテゴライズすることには成功していたかもしれない。記憶は定かではない。ただ、「ひきこもりムラ」に参加することができたのは、ある程度経済面の課題が解決した後のことだ。「ひきこもりムラ」に参加するにも、ある程度の素質のようなものがないとままならないとの個人的な経験。

「めいわく」なる概念

 ここでちょっと寄り道。これから、わたしは、「めいわく」なる概念を使って説明する。このブログを読んでくれている方ならすでにご存知だろうが、再度説明する。わたしが使う「めいわく」なる概念は、佐藤直樹さんが呼ぶところの「世間」(「ムラ社会」と呼んでもいい)で使われるものである。「ムラ」の「有力者」や「ムラ」の「みんな」にとって目障りな行動をした人に対して使われる言葉であると、わたしは考えている。以後、この記事では、「めいわく」とはそのような概念であるとして使う。

「世間ムラ」と「ひきこもりムラ」に緊張関係がある中で「性的な支援」を求める声が「ひきこもりムラ」から上がったことの意味

 もう説明するまでもないだろうが、「ひきこもり当事者」は、「世間ムラ」から弾き飛ばされた人たちである。そんな人たちが安住の地にしている「ひきこもりムラ」は、「世間ムラ」と緊張関係にあるのは当然のことである。そのような緊張関係がある中で、次のような発言が「ひきこもりムラ」の構成員からされた。

いっぽう、男性のひきこもり当事者からは、自分の地域から受けたい支援として性的な援助を望む声があった。

ひきこもりは対人関係をつくるハードルが高いから、セックスができる相手を得にくい。恋人をつくるにも、性風俗へ行くにも、それなりの勇気が要る。けれど、そういう勇気がないからひきこもっている。

身体障害者の方々のために射精補助をおこなっているNPOもあるのだから、精神的なハンディを背負っているひきこもり男性のためにもそれを考えてほしい。女性のひきこもりにも性欲を満たしたいニーズはあるはずだ。そういう相手は近くに住んでいるのが望ましいから、行政は地域のひきこもりなどから性的パートナーをあてがってほしい(*1)、という声であった。

しかし、これにはさすがに女性ひきこもり当事者や女性の親御さんの側から反対の声があがった。精神的な親密さをともなわず、接近の段階も経ないで、いきなりお互いの性的欲求だけを充足させる支援というのは、求めるものではないということであった。

これはひきこもり支援の問題というよりも、男女間のセクシュアリティの違いを際立たせる議論であったかもしれない。ともかく、「ひきこもりは地域に支えられたいのか」という問題提起から、かくも多岐にわたる話が出たのだった。

*1. 後註(2021.02.13)

この一節がのちに問題になった。

詳しくは「やっぱり今日もひきこもる私(351)」をご参照のこと。

―ぼそっと池井多さんのブログ「VOSOT ぼそっとプロジェクト」内記事「やっぱり今日もひきこもる私(348)庵-IORI- 「ひきこもりは地域に支えられたいのか」テーブルのご報告」より*1

 この発言をはじめおがたけさんが、追ってわたしが問題として取り上げ始めた。特におがたけさんのシェアに対する反応はかなりの数に上った。その中には、こんな反応もあった(前にも書いた)。

 「世間ムラ」の構成員からしたら、当たり前の価値観がここで表現された。が、それは、その「世間ムラ」から弾き飛ばされた「ひきこもりムラ」の構成員にとってはある種の暴力として働いたことは想像に難くない。わたしは、ひきこもり当事者に「女性をあてがう」のは「人間の尊厳を害すること」として批判したが、批判した人たちの少なくとも一部には、「ひきこもりムラの人間は甘えてるんじゃない」との考えがあった。ここに至って、「性的な援助を望む声」に対する批判には、二重の意味が生まれた。すなわち、「人間の尊厳を害することである」とする意味と、「世間ムラにとって「めいわく」だ」とする意味。

 件の発言に対する批判に、ぼそっと池井多さんなどがさらに反論したのだが、これにはややこしいことに三重の意味が乗っている。すなわち、「人間の尊厳を害するようなことではない」との意味、「世間ムラが「めいわく」としたのは不当だ」との意味、及び、「「ひきこもりムラ」に「めいわく」をかけたな」という意味。もっとややこしいことに、件の発言に対する批判の真意と、件の発言に対する批判への反論の真意が、これらの意味のうちどの意味でなされたのかを見分けるのがとても難しい(少なくともわたしにとっては)。いかにもっともらしい理屈を書いたとしても、その真意が「「ひきこもりムラ」に「めいわく」をかけたな」だったかもしれない。それはわたしにはわからない。

 そして、これが重要なことなのだが、「ひきこもりムラ」なんて、「世間ムラ」に比べれば、吹けば飛ぶくらいの弱いムラ。「世間ムラ」から一度批判されたら、どうやったって勝ち目はなかった。一度批判にさらされたが最後、「ひきこもりムラ」の「アジール」としての機能は、どんどん打ち壊されるほかなかった。それが、「「世間ムラ」にとって「めいわく」だ」とする意味合いであったとしても。「「世間ムラ」にとって「めいわく」だ」とするなんて、単なるいじめの論理でしかないのだから、ぼそっと池井多さんなどが、批判について「いじめ」だとしたことには半分くらいの正当性はある。

 と、ここまで考えてきての問題提起。男性ひきこもり当事者に性的なパートナーをあてがってほしい、とする発言に対して批判された方々の真意は、どこにあったのだろう?「「世間ムラ」にとって「めいわく」だ」とするものだったのか、それとも「人間の尊厳を害すること」を非としたのか。それが問題だ。

 もともと、「ひきこもりムラ」は、男性中心の価値観で動いてしまいがちだった。そのことを批判しなければならなかったのは事実。しかし、そのような批判が、「世間ムラ」による批判まで招き寄せることになってしまい、「ひきこもりムラ」の「アジール」としての機能は大きく破壊されることになった。批判するも地獄、しないも地獄。どっちにしても地獄が待っていた。どうやったらこの地獄を避けて通れたのか、いまだにわたしはわからない。