話を始める前に、ちょっとだけ前口上を。今回の記事は、関東平野の地図がないとちんぷんかんぷんになるので、「地理院地図」で関東平野の地図を出してから読んでほしい。もう一つ。川の左岸・右岸とは、下流に向かって左側か右側か、である。荒川左岸なら、さいたま市や川口市など、荒川右岸なら川越市や所沢市などが該当する。前口上ここまで。
わたしは、ひょんなことから、埼玉県の宮代町にあるコミュニティセンター進修館を会場に、ひきこもり当事者・経験者の集いを主宰している。あるときのこと。ひきこもり当事者活動界でそれなりの存在感を持っている人から、参加者が少ない理由として「宮代は遠い」との説を聞いたことがある。わたしはその時はその通りだとうなずいた。
ちょっと待って、誰にとって「遠い」のだろう?埼玉県東部、茨城県西部(ってか古河市付近)、栃木県南部や群馬県南部からはそれなりに「近い」。東京23区や神奈川県からは「遠い」のは事実だが。あのとき話をしていた人も、わたしも、二人そろって荒川右岸に住む人のことだけしか考えてなかった。だから、宮代は遠いとの説に互いに納得していた。荒川左岸に住んでいる人の中にも「ひきこもり」あるいはそれに類似した生活のしづらさを抱えている人はたくさんいるのに、わたしも、話をした相手も、そのことを無視していた。
わたしが主宰するひきこもり当事者・経験者の集いの場に、他の会の情報をまとめた紙を貼り出すのは定例だった。その紙に書いていたのは、荒川右岸で開催される会の情報ばかり。わたしの目も、荒川右岸にのみ向いていた。
ひきこもり当事者活動が、荒川右岸の関東平野に集中しているのは知っている人は知っている。そのようなことをわたしも当然のこととして受け止めて、荒川左岸、さらには関東平野の外に住む人のことを無視していた。以前も書いたが、「ひきこもり」概念が、ごく狭い地域の、ごく限られた階層の文化から立ち上がってるとの疑いをわたしは強く持っている。具体的には、「南関東に住んでいて、中流家庭に生まれ育った男性」が主に「ひきこもり」として想定され、それらの属性に当てはまらない人たちはひきこもり概念からはじかれているのではないかとの疑いだ。この記事で書いたのは、その疑いが事実であることを示唆する材料のひとつ。