精神科診断カテゴリーの限界
この本について書く。まさかの大物登場。とっても高いので、読むときは図書館使いましょ。もちろん、日常的に使う専門職の方はお買い上げいただいた方がよろしいかと思いますが。
https://www.amazon.co.jp/dp/4260019074
精神科医でもないのにこの本について書くのはなかなか無謀だと思うんだけど、それでもやってみる。「なにがわからないのか」についての記事だから、ちょっとご勘弁いただこう。
精神科で、何かしら病名をつけてもらう。このとき、結構な数の精神科医は、この本に載ってる診断基準と照らし合わせて、どのカテゴリーに当てはまるのか考えて病名をつけてる。この本を使わない精神科医もそれなりにはいるけど、そういう精神科医はこっちの本を使ってたりする。こっちの本は、現在改訂作業中で、いささか古びてしまってはいるが、未だに現役だ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4260001337
日本の厚生労働省は、こっちの本に載ってる診断カテゴリーを採用している。で、実は、英語版の原文は、WHOのサイトに全文載ってて、英語を読むのが苦じゃない人はこっちもお勧め。
https://www.who.int/classifications/other-classifications/en/
「ICD-10 Classification of Mental and Behavioural Disorders: Clinical Descriptions and Diagnostic Guidelines」ってのがその原文。
で、これらの本に載ってる診断カテゴリー。病名だけ見ると、なんとなくもっともらしく見える。ただ、診断カテゴリーによって説明するのには、限界がある。というのも、症状と経過でカテゴリー分類しているだけだから。あるカテゴリーに当てはまる人たちが、本当に同じ病気かどうかはわからない。内科で例えれば、熱があって咳・くしゃみ・腹痛・下痢・嘔吐・倦怠感のいずれかがある状態を「熱病」と呼びましょうとやってるようなものだ。こんな分類では、風邪も肺炎もインフルエンザもノロウイルスによる胃腸炎も全部同じカテゴリーだ。しかも、体温が何度以上に上がったら発熱とするのかさえ、わかってなかったりする。精神科の診断カテゴリーは、だいたいこういうもの。とりあえず症状と経過で分類しているだけ。ただ、これは今の精神医学の水準ではしょうがない。精神疾患が、身体のどのような病変によって生じているのか、はっきりわかっていない。なので、症状などによって分類しておくしかない。「統合失調症」と聞けば、立派な病名のように見えるが、統合失調症と診断された人が全員同じ原因で症状を引き起こしているとは、精神科医のほとんど誰も考えてないし、ICD-10の臨床記述と診断ガイドラインに至ってははっきりと多種多様な原因と転帰をたどる症候群だと書いてる。DSM-5も、診断カテゴリーに十分な科学的妥当性があるわけではないと書いている。
さらに、どこから病気とみなすかさえも、はっきりと決着がついてない。とりあえず精神科医たちの合意によって、ここから病気ということにしましょうとしているだけだ。
それでも、精神科医が研究をしたり、患者の診療をしたりするときには有用で、だからこそアメリカ精神医学会は2500万ドルも使ってDSM-5を作った。
で、発達障害の話。DSM-5では「神経発達症群」というカテゴリーになってる。病名が付いた。これで何もかも説明ができた…わけではない。とりあえず症状で分類しているだけなので、背後にどんな病変があるのかは何も説明していない。さらに、「どこから病気にするか」も決着がついてないものだから、いろいろ混乱が生じ始めた。発達障害の中のカテゴリーのひとつである自閉症スペクトラム障害の診断を持つ人は、DSMの前のバージョンであるDSM-Ⅳ発表以来25倍に増えた。このことについて、DSM-5は、本文で、診断基準の拡大のせいなのか、認知度の高まりのせいなのか、研究方法の違いのせいなのか、それとも本当に自閉症スペクトラム障害に当てはまる人たちが増えているのかはわからないと割とあけすけに書いている。DSM-Ⅳの編集責任者だったアレン・フランセスさんは、はっきりと「診断習慣が変わったからだ」と言っている。なんで変わったのかと言えば、さまざまな社会サービスを受けるために病名が必要だったからだ、と指摘している。
注意欠如・多動症は、DSM-ⅣからDSM-5に変わるときに、診断のハードルが低くなった。これで、今までよりも多くの人が診断を受けられるようになるだろう。これまたアレン・フランセスさんは手厳しく指摘していて、社会の側の要求が高くなったから、これまで適応できていた人が適応できなくなって、診断を受けるようになったのではないかと。
とりあえず、「どこから病気にするか」の決着がつく見通しはなく、さらに、精神疾患の大半は原因不明で、とりあえず症状をもとに分類するしかないという事情がある。なので、発達障害と診断された人は全員脳に先天的な病変があるなんてのは今の段階では断言できない。
ただ、それでも、精神科医が診察室で仕事をするときには、これらの診断カテゴリーはとても有用だということはもう一度書いておく。
問題は、その診断カテゴリーを、精神科医が診察室で仕事をするとき以外にも使おうとすることから生まれる。教室でどういう配慮が必要かだとか、職場でどのような配慮が必要かだとか、DSMはそういうことを説明できるようにはできていないし、そもそもそれを目的としていない。なので、あなたが、ある人についてどのような配慮が必要か考えるときに、「発達障害なので」、としか言われなかったら「なんのこっちゃ」と答えるのが正しい。配慮が必要なのはわかるが、どんな配慮が必要なのかについて何の情報も含まれてない。
暮らしの中で何を困っているのかを記述する言語、ICF
じゃ、どんな配慮が必要なのか、それを伝えるための共通言語みたいなのはあるのかと聞きたくなるだろう。答えは「ある」。それが国際生活機能分類(ICF)で、ICD-10と同じく世界保健機関が作っている。この分類、どのような要因がどのように関係してどこで困っているかを記述できるようになっている。この本。
https://www.amazon.co.jp/dp/4805844175
基本的な考え方と、大まかな分類を示した章は厚労省のサイトで公開されている。
https://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html
こちらは、病名がついているかどうかにかかわらず、すべての人について使えるようになっている。ICFの考え方に従って記述すると、例えばこういう記述ができる。
もう一つの例として,顔に白斑があるが,その他の身体的な問題はない人があげられる。この容貌上の問題では能力の制限は生じない。しかし白斑がハンセン病で,伝染性だと誤解されている状況で生活している場合,その人の現実の環境では,人々のこのような否定的な態度は対人関係での実行状況に著しい問題を生じる,環境上の阻害因子となる。
(障害者福祉研究会編集、中央法規出版発行の日本語版より)
こっちの方が、はるかにわかりやすい。わかりやすいと言うのは、わたしたちのような素人だけではなく、社会サービスを提供する側にとってもである。先ほど、精神科の病名ではどんな配慮が必要かはわからないと書いたが、どの分野の病名でも、どんな配慮が必要かは正確なところはわからない。そこを見えるようにするのがICFだ。社会サービスについて判断するときは、絶対ICFを使った方がいいと思うんだけど、日本の厚生労働省は、とりわけ障害年金の審査において、病名にやたらこだわっている。なんとかならないものか。
まとめ
精神科の診断カテゴリーは、必ずしも原因になっている病変を説明するものではなく、単に症状から分類しているだけである。それでも、精神科医の臨床上は有用だけど、ある人にどんな社会サービスを提供するかを決めるのには役に立たない。「どんな要素が関係して、どこで困っているのか」を明らかにする方がはるかに有用。
そして、この記事のタイトル「病名だけではわからない」となる。