ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

善意は行為を正当化しない

 オウム真理教の教祖・麻原彰晃は、こんな説法をしたと言う。

例えば,Aさんという人がいて,Aさんは生まれて功徳を積んでいたが慢が生じてきて,この後悪業を積み,寿命尽きるころには地獄に堕ちるほどの悪業を積んで死んでしまうだろうという条件があったとしましょう。このAさんを,成就者が殺したら,Aさんは天界へ生まれ変わる。しかし,このAさんを殺したという事実を他の人たち,人間界の人たちが見たならば,これは単なる殺人。そして,もしこのときにAさんは死に天界へ行き,そのときに偉大なる救世主が天界にいて,その人に真理を解き明かしAさんが永遠の不死の生命を得ることができたとすると,このときに殺した成就者は何のカルマを積んだことになりますか。すべてを知っていて,生かしておくと悪業を積み,地獄へ堕ちてしまう。ここで,例えば生命を絶たせた方がいいんだと考え,ポアさせた。この人はいったい何のカルマを積んだことになりますか,殺生ですか,それとも高い世界へ生まれ変わらせるための善行を積んだことになりますか。人間的な客観的な見方をするならば,これは殺生です。しかし,ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば,これは立派なポアです。そして,智慧ある人─ここで大切なのは智慧なんだよ。─智慧ある人がこの現象を見るならば,この殺された人,殺した人,共に利益を得たと見ます。ところが,智慧のない人,凡夫の状態でこれを見たならば『あの人は殺人者』と見ます。…ここにいる人を,今,人間界の低次元から天界へ上げる。しかも,そこには偉大な救世主がいて,その人と縁があって,その天界へ行った人は永遠不死,マハー・ニルヴァーナに入ることができるとしましょう。そこに一人送り込んだわけだから,大変な功徳を積んだことにならないですか。だから,そういう偉大な功徳の積み方,これができるのがヴァジラヤーナあるいはタントラヤーナであると考えてください。しかし,それは最後にあなた方がなす修行である。今は,修行としては小乗(ヒナヤーナ)の実践をなして初めて次のステージの大乗(マハーヤーナ)の真の意味合いというのが分かるようになってくるということを理解しなければならない。
―2004年2月27日、東京地方裁判所判決

 この説法を見る限り、オウム真理教は、まさしく「善意」で多数の人を「ポア」した。地下鉄にサリンを撒いたことを、「善意」をもって免責する?