ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

冤罪被害を増幅させた「匿名の存在たち」

 草津町にて起きた、性加害のでっち上げ事件に関する反応である。今回、「フェミニスト」なるわかりやすい敵がいたものだから、ワーッと皆で「フェミニスト」に攻撃が向かっている。その前には「フェミニスト」と呼ばれるひとたちが激烈な抗議活動を行った事実はあったのだけど。確かに、「セカンドレイプの町草津」は穏当な抗議とは言えない。が。「穏当な抗議とは言えない」ような抗議が、冤罪被害者にぶつけられることは結構ある。

 2000年にも、性被害の「でっちあげ」が起きている。この時、警察はろくに調べもせずにでっち上げの告訴状を真に受けて逮捕するわ、これまたロクな証拠もないのに令状自販機のごとく裁判官は逮捕状を発行するわでまあ相も変わらずなのである。その後、ともかくも無実が確定し、でっち上げは虚偽告訴で有罪、損害賠償も命じられた。にもかかわらず、冤罪被害者の方が経営していた会社を廃業することになってしまった。みんなしてこのひとが経営する会社との取引を打ち切ってしまった結果だ。

 1994年6月に発生した「松本サリン事件」で、警察は第一通報者の方をまるで真犯人かのように扱い、報道もそれに追従した。このとき、この第一通報者の方の自宅には、早朝やら深夜やら、要は絶対電話に出たくないような時間に「人殺し」「税金の無駄だから早く本当のことを言え」「街から出ていけ」などと言うだけの匿名の嫌がらせ電話がかかってきたのだという。その後、1995年3月になり、オウム真理教のしわざだと皆が勘付いたあたりでこの第一通報者の方の疑いは晴れたのだが、匿名でわざわざいたずら電話をかけてきた連中が謝罪したなんて話は聞かない。一方で、メディアは横並びで一斉に謝罪した。それほど変な記事を書いていない「市民タイムス」まで謝罪した。「市民タイムス」がそんなに変な記事を書いてなさそうなのは、黒須俊夫,「松本サリン事件報道におけるメディアの実態(1):新聞見出しからみた報道枠組みの変容について」(群馬大学社会情報学部研究論集7巻,169–223p.2000年,群馬大学社会情報学部)*1に掲げられている記事見出し一覧を読んでの推測。皆で横並びに冤罪被害者に嫌がらせをしたと思ったら、メディアの謝罪も皆横並びである。

 そんで、今回、「フェミニスト」というわかりやすい敵が出てきたものだから、ここぞとばかりに匿名の存在がリンチを始めている。草津まで行って穏当ではない抗議をした「フェミニスト」たちの行為は、たいていの事件で匿名のイナゴたちがやってることをちょっとだけマイルドにして顔を出してやっただけのことである。何も新しいことはなく、突飛なことでもない。たまたま匿名でなかったから(しかも、冤罪だったから)皆で一斉に袋叩きにしているが(袋叩きにしている人間がこれまた匿名なのがたまらない)、そんなに大上段に石を投げつけられる人間がどれくらいいるんでしょうねとわたしなんかは言いたくなる。今「フェミニスト」に石を投げつけている匿名の存在たちも、たとえば東池袋自動車暴走事故の「加害者」が、刑事訴訟で国と争っているさなかに、家族が記者会見なんか開いたりして、「自動車の不備」やら「警察にはめられた」なんてことを訴えようものなら容赦なく石つぶてを投げつけるんじゃないだろうか。あるいは、草津町長の自宅に匿名で深夜早朝に嫌がらせ電話をかけて自死に追い込むやり口だったらどうだっただろうか。そんなことを想像すると、法の支配の理念なんてそっちのけで目立つ存在を匿名で叩いているだけに見える。そのことにわたしはものすごい嫌な感じを覚えるのである。

参考文献:

佐藤直樹著.「世間の目:なぜ渡る世間は「鬼ばかり」なのか」,光文社,2004.4.