ふらふら、ふらふら

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ひきこもり当事者の居場所という「コモンズ」の維持費

http://sokudokuhikky.blog103.fc2.com/blog-entry-2817.html

ひきこもり当事者の居場所や当事者会を開くにも、有形無形のさまざまなコストがかかっている。労力を割いている人に、その労力に見合った報酬を払わなければとの冒頭の記事の問題意識はなんとなくわかる。だけど、ちょっと違和感を感じる。

自分だって「月曜茶話会」という名前でひきこもり当事者会を主宰していて、そこで「参加費」をいただいてる。だけど、だけど、そこで報酬をいただいたら、なんとなく「サービスを提供する側」「サービスを受ける側」にきれいに分かれてしまうように感じる。

あまり現実のものにはなってないとはいえ、いちおうは誰のものでもない、みんなで維持するみんなの居場所という理想がある。だから、その維持費(有形無形のものすべてひっくるめて)は、みんなが等しく負担するべきものだと思っている。サービスを提供する側・購入する側に分断してしまうようなことはしたくない。

もっとも、運営上、誰か特定のメンバーが特別の負担をしたら、その特別の負担にはきちんと支払いをしなければ。誰かの特別の負担を、みんなが等しく負担するということ。

だから、運営メンバーに交通費を払うのも、どちらかと言えば否定的。みんなが等しく参加者なので、特定の参加者にだけ交通費を払うのは何かがおかしい。とはいえ、例えば誰かが運営上必要な重いものを搬入するために、バス代が余計にかかったなんてときには、その特定のメンバーに特別の負担が発生しているから、その分はちゃんと払う必要があるとは思う。そして、その支払いに必要なお金は、参加者皆が等しく払う必要がある。

誰かがサービスを提供する側で、誰かがサービスを受ける側と分けるのは、ひきこもりの当事者会活動に関しては、あまり好きじゃない。自分は、「みんなで維持するみんなの居場所」という理想を大事にしたい。