ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

どんないい治療も、耐えられないほどの副作用があるなら続けられない


世界保健機関憲章前文より

健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。

有名な「健康の定義」。外務省の訳文をそのまま引用している。原文はこれ。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

単に病気を避けられれば、それでいいわけではない。そのことを端的に示している。とてもいい定義だ。

最近、下の記事を読んだ。国際医療福祉大学医学部公衆衛生学教授の和田耕治さんへのインタビュー記事だ。

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-wada-3

なかなかショッキングな内容も含まれていた。たとえば、ライブハウスなどについて「狭いライブハウス、クラブ、オールスタンディングのホールなどは、換気が悪く、人の密度も高い環境が多いこと、観客間での飛沫感染が発生しやすくなることが見込まれるため、参加をなるべく避けてください。こうした環境にいったん感染が持ち込まれると、クラスターを発生させる可能性が高まります。オンライン配信、オンライン参加など、実施形態を工夫しましょう。」と。

屋内での会合についても、「換気が悪く、人の密度の高い空間での複数人とのおしゃべりは、そこに感染者がいた場合に、クラスターを発生させる可能性が高まりますので、避けてください。バーチャル懇親会、ウェブ飲み会など、実施形態を工夫しましょう。無償で提供されているアプリケーションやツールもあります。」と。

また、「技術の進歩でテレビ会議もできるようになりましたし、ネットでの懇親会や、マラソンを各自で走ってタイムを報告するといったことも始まっています。」とも。

直接対面するのは仕事だけにして、人と人との交流は、オンラインを基本にしましょう、と、わたしは読んだ。たしかに、感染症対策のことだけを考えたら、それが正しいのだろう。だけど、人間の健康に影響を与えるのは、何も感染症だけではない。

これまで行われてきた人と人との交流を、すべてオンラインで代替できるとは思えない。わたしが主宰しているひきこもり当事者会も、いったんはオンライン開催の検討を始めたが、解決できない課題があって、オンライン開催には踏み切れない(主に、参加費の集金をどうするかの問題)。また、オンライン当事者会がオフラインの当事者会にすべて代替できるわけではない。「ひき桜」のあの雰囲気を、オンラインで再現するのは極めて難しい。大学のゼミなどをオンラインに切り替えるのも、まだまだ課題がある。なんだかんだ言って、キャンパスに集まって双方向でコミュニケーションをすることによって得るものは少なくない。もうちょっと極端に言うと、「来年度から日本中の大学をすべて通信制に切り替える」法律が通ったとして、果たしてそれがうまく行くだろうか?「前向きな行動と新しい価値観」と言われても、無理なものは無理である。

仕事以外の人と人との交流がオンラインに限定された時、間違いなくひとびとの精神的健康は害される。ライブもなければコミケもない、ひきこもり当事者会もなければ大学のサークルもオンラインだけ、ただ仕事だけが毎日続く、そんな日々に、大多数の人は何とか辛抱するだろう。だけど、精神的健康を害する人は確実に出てくる。精神的健康を害した人の中から、自死する人も必ずや出てくる。どのくらいの人数になるかは基礎データもないので想定もできないが。

https://togetter.com/li/1478882

まとめに対するコメントの中に、「ストレスからの国民の開き直り、短絡が暴発することだろう。そうした動きはいずれ必ず起こるし、それが容易に感染爆発・医療崩壊を誘発することも想像できる。」とのコメントがあった(ephemera @ephemerawwwさんのコメント)。この方は、それに対して「緊急事態宣言」という強権を発動してしのぐことを想定しているが、果たしてそれがうまく行くか。いくら緊急事態宣言を発動しても、自宅で首を吊る人を止めることはできない。ついこの間まで、先進国の中でも自殺率は高かったことを思い出そう。COVID-19は封じ込められたが、自死者は多数発生しましたでは何のための対策だったのか。

それだけではない。長期にわたり自宅内にいることを強いられる高齢者が、ロコモティブシンドロームを発症して、さまざまな健康障害を引き起こすリスクもある。こちらも、どれだけの数になるか、想定もできない。

確かに、和田耕治さんの提案は、感染症のことだけを考えれば満点なのだろう。しかし、副作用に目をつぶって、COVID-19への対策に集中するのは、いずれにしても持続不可能である。どんなにいい治療でも、耐えられないほどの副作用をもたらすなら、そのような治療は続けられない。


その点、川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦さんは、「副作用」についても誠実に向き合っていると感じる。岡部信彦さんへのインタビュー記事は下に。

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-okabe-2

岡部信彦さんははっきりと、社会的な要素についての判断はつかないと言い切っている(ように読めた)。

今求められているのは、副作用をなるべく低く抑えながら、COVID-19に立ち向かうことだ。具体策はなかなか思いつかないが、たとえば、アマチュアバンドのライブのために、土日限定で東京都心の道路を開放するなんてアイデアはすぐに思いつく。土日に都心に自動車で行きたいと考えている人にはちょっと我慢してもらわなければならないが、ライブをすべて止めるよりはマシである(もしかしたら、自動車を止めることによって、交通事故死は減るかもしれない)。そして、それは、医学の専門家の手に余ることだ。社会学や経済学の専門家なども参加して、広く学際的に判断する必要がある。

それにしても…

安倍政権の打ち出したCOVID-19に対する対策は、感染症を封じ込めるという観点だけで見たら、よくやっていると考える。しかし、こういう危機の時ほど、ひとの本来の姿はよく出てくるもので、安倍政権の本来の姿もよく出ている。それは、市民を国家や経済に奉仕するだけの存在ととらえ、市民の生活の質をあまり考えないことだ。これは政権発足当初からそれとなく出ていたところで、何も昨日今日に始まったことではない。これまでやってきたことをより露骨に行うようになっただけだ。今のところ、経済活動を大きく止めることはしていない。その割に、市民の娯楽はずいぶん制限している。このような施策が、安倍政権が考えているであろう「庶民は自らの利益など考えず国家社会経済のために奉仕せよ」という理想に極めて親和性が高いのは指摘しておく。

【追記】

「仕事以外の交流をすべてオンライン化」なんて強烈なことをしなくても、いわゆる「3つの条件」(密閉・密集・密接)を重ねないように皆が行動すれば、感染を終息させることができるかもしれないのだという。これは、はるかにたやすい行動(何なら自宅で友達と飲むときにはキッチンの換気扇を最大にしておけばいい)、そういうわけで、現在厚生労働省が進めている対策は、ちゃんとやれば最小限の副作用で、もしかしたら感染を終息させるという世界初の快挙になるかもしれない。そんなわけで、宗旨替えしました。


■参考リンク

〇精神保健関係

厚生労働省「自殺対策」

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/index.html

日本いのちの電話連盟

https://www.inochinodenwa.org/

東京自殺防止センター

https://www.befrienders-jpn.org/

〇COVID-19関係

厚生労働省(最近、格段に公開情報が充実した。学者の方々にとっても貴重なデータすら公開されている)

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html

世界保健機関(WHO)

https://www.who.int/emergencies/diseases/novel-coronavirus-2019

アメリカCDC

https://www.cdc.gov/coronavirus/2019-nCoV/index.html

中華人民共和国国家衛生健康委員会

http://www.nhc.gov.cn/wjw/index.shtml