ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「みんな同じ」をやめれば、制服はいらない

「ファッションセンスの差や貧富の差を隠せるから、学校の制服は必要」とはよく聞かれる。だけど、それは違うよ、というお話。

貧富の差は、それ自体が必ずしも容認されることではない。適切な再分配政策が必要。というそもそも論はある。ただ、それを学校に言われてもどうしようもないのでここで深入りはしない。

問題は、学校の「みんな同じことがよきことだ」という価値観だ。だから、「同じ」でない児童生徒が排除される。学校のあらゆるところに存在する「みんな同じ」をやめることこそが重要。

現実に、「みんな同じ」ではないことが自明になっている、定時制通信制の高校は、制服を定めている学校の方が珍しいくらいだ。概して、定時制通信制の高校には、経済的に厳しい層も多く入学してくる。それでも、制服などなくてもちゃんと運営している。生徒の年齢層からして幅広く、「みんな同じではない」のが当たり前だからだ。

そして、「みんな同じ」を当たり前だと思っていると、妊娠した女子生徒を退学させるなんてことになる。以前、京都府立朱雀高校で妊娠した女子生徒が通信制に移っていたが、なぜ通信制でなければならなかったのか、誰もまともな説明をしているようには見えない。「特別な配慮ができるのは定時制通信制なのだから、そちらに移るべき」との意見は聞かれたが、なぜ全日制では「特別な配慮」ができないのか。なぜ定時制通信制ならよいのに、全日制だとダメなのか。自分はそこに、「みんな同じ」を当たり前と考えている、全日制高校の悪しき面が出ていると考える。

朱雀高校にしても、何らかの病気で医師の診断書が出ていれば、体育の授業で特別な配慮をしていたとのこと。前にも書いたように、医学的診断は生活の困り度を判断するためにあるわけではない。医学的診断のあるなしで特別な配慮を決めることそのものがすでにおかしいのだが。「みんな同じ」の建前を崩したくないから、特例を認めるには「医学的診断」を求めているのだろう。

朱雀高校の例を見てもらえばわかるように、「みんな同じ」は、決して平等ではない。

そして、「みんな同じ」を演出するための制服も、平等を実現するものではない。

追記

発端になったツイート、まとめられてた。

https://togetter.com/li/1434329