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「高所得女性が専業主夫と結婚する」は、女性差別の解決策にはならない

埼玉が誇るアニメ「クレヨンしんちゃん」、サラリーマン・野原ひろしと専業主婦・野原みさえ、それに子どもの野原しんのすけ野原ひまわりの四人家族が主な登場人物。大黒柱の夫が収入を担い、妻が家事を担う、そんな家庭が一時期は「標準的」とされてきた。

ところが、最近では、一家を養うだけの収入が得られない男性も増え、結婚なんてとてもとてもと考える男性がかなり多くなってきた。その一方で、高所得を得る女性も増えてきた。男性の中からは、「女性が専業主夫を養え」なんて怨嗟の声も聞こえてくる。あるいは、「女性が高所得を得ても専業主夫を養わないのだから、女性に高所得を与えるのは間違いだ」なんて声まで飛び出す始末。今日は、そんなことを言うのはただの八つ当たりに過ぎないことをつらつらと説明していく。あと、女性差別の結果として全体的な所得も下がってることまで説明できたらいいかな。

ちょっとでも求人情報などを見た人ならすぐに思い当たることだけど、日本の労働市場は、主に専業主婦を対象にした「扶養範囲内のパート」市場と、「大黒柱としての稼ぎ手正社員」市場にだいたいは分かれる。見事な女性差別。男性稼ぎ手×女性家計補助パートの組み合わせが最初から想定されていて、そこから外れるととても生活しにくい状況になる。

解決策として、大黒柱としての稼ぎ手正社員市場で職を得た女性が、扶養範囲内のパート市場でしか職を得られなかった男性を養うべきだなんて意見が(主に男性側から)飛び出すが、それも解決策にはならない。解決策にならない理由はだいたい二点ほどあって、

〇稼ぎ手正社員を目指す人が漏れなく稼ぎ手正社員市場に職を得られるとは限らない

〇稼ぎ手正社員市場に職を得た人が、必ずしも扶養範囲内のパート市場で職を得ている人と結婚したくなるとは限らない

って二つの点がある。

まず第一点、稼ぎ手正社員の椅子を求める人に稼ぎ手正社員の椅子が割り当てられるとは限らないって問題から説明しよう。今では、男性だというだけで稼ぎ手正社員になれるとは言えなくなった。「女性が稼ぎ手正社員の椅子を奪ったからだ」という説明は(一部の男性には)魅力的でわかりやすい説明だが、それでは説明できない。

平成29年就業構造基本調査によると、年収500万円以上の女性は1,873,000人。一方、年収200万円未満の男性は2,728,300人。いずれも、20歳から59歳まで、就学しながら働いている人を除いた数値である。女性が全員年収500万円以上の職の椅子を捨てたとしても、年収200万円未満の男性全員に年収500万円以上の職の椅子が行き渡るわけではない。要するに、稼ぎ手正社員の椅子の絶対数が減ったのだ。

なんで減ったか?割と簡単で、「扶養範囲内のパート」の仕事を求める優秀な女性がたくさんいる中で、わざわざ男性というだけで高い賃金を払う必要性を感じない企業が増えたから。低所得の男性のみなさん、あなたが競争している相手は、「扶養範囲内で働きたい」パート女性なんですよ。そうして、ずるずると高所得の職の椅子が減った。女性の賃金を低い水準に抑えてきた結果、男性もそれに引きずられて低賃金になった。男性の低賃金は、女性差別の結果だ。

第二点。稼ぎ手正社員×家計補助パートでうまくカップルができるとは限らないことについても説明しよう。昔は、稼ぎ手正社員は男性、家計補助パートは女性と性別役割分業をしていたおかげで、それなりにカップルを成立させることができた。ただ、それは、夫がどういう相手であっても経済的な理由から離婚もできない多くの女性の犠牲の下に成り立ってきた。仮に離婚したとしても、女性の賃金は低く抑えられてきたから、日本の母子世帯の就業率は世界でも高いレベルなのに、貧困率もこれまた高いレベルにある。一部の男性は、高所得の女性が低所得の男性と結婚するべきだと噴き上がっているが、そんなに人為的にカップルなんて作れるものではないことを忘れている。人間、そんなに計画通りに生きられるものではないわけで、稼ぎ手正社員市場に入ると決めた人がずっと稼ぎ手正社員市場に居続けるとは限らない。家計補助パート市場にいる人も、ずっと家計補助パート市場に居続けるとも限らない。性別によってどの市場に入るかを無理やり割り振ってきたから、うまく回っているように見えただけ。

そして、性別によって大黒柱か家計補助パートかを割り振るのには、正当な理由はどこにもない。

さて、ではわたしたちはどうすればいいのか。答えは簡単で、稼ぎ手正社員コースと家計補助パートコースを統合する。スローガン的に言えば、多様で平等な働き方の実現を、となる。稼ぎ手正社員には稼ぎ手だからという理由で企業から手厚い福利厚生が提供されてきた。一方、稼ぎ手正社員の椅子からあぶれた人の福利厚生は、無きに等しいものだ。であるから、どういう働き方であろうと、とりあえず独立して生計を営めるだけの賃金、そして社会保障を、となる。企業の福利厚生を、社会保障に置き換える。男性だからという理由で上げ底されることはなくなるが、どんな働き方を選んでも、とりあえずそれなりの生活ができるようにはなる。もっと端的に言うと、フリーターがフリーターのままでも結婚して、子どもを産み育てられるだけの賃金と社会保障を確保する。これは、社会的公正にもかなうことである。

なお、この手の議論で時々見られる、低賃金労働者への教育と訓練は、根本的な解決策にはならない。なぜなら、今低賃金で働いている人たちが担っている仕事も、誰かがやらなければならない仕事だからだ。この事実を、できれば見ずに済ませたい人は多いが。教育と訓練は、それを求める人に提供される必要はあるが、低賃金で働いている人により高い所得を保障するための根本的な対策にはなり得ない。

最後に、この言葉で締めることにしよう。

性別役割分業にさよならを。