ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

転売ヤーの言い分は、自己責任論の劣化コピー

5ちゃんねるのとあるスレッドに書き込まれた、次の書き込みが批判を浴びている。

転売を批判してる側こそ問題がある
値段は需要と供給による価格設定だ
需要が多ければ、価格が上がるのが普通
馬鹿な日本人は、どんな不足時でも普段の価格で買えると思い込んでる
転売は合法で、何の問題もない
むしろ市場原理に沿った正しい経済活動だ
批判する奴は、高値で買えない貧乏人か、ただの転売者への妬みだ
高所得者なら、高くても普通に買う
低所得者は情報集めて開店前に行列に並んで買えばいい
転売禁止すると金持ちさえ買えなくなって困るだろ
貧乏人は、高値でも買いたい高所得者に対しても迷惑を掛けてる 
いい加減にしろ馬鹿ども 

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1583354395/

まあ、これが屁理屈なのはその通りなんだけど、ここでちょっと個人的な恨みが頭をもたげてくる。「貧乏人が進学するなんて贅沢だ」とか、まあ自己責任論をさんざんぶつけられてきたものだから。

露骨なほどに「地獄の沙汰も金次第」な世の中にしてきた結果、こういう屁理屈をひねり出す人間が出てきた。そろそろ、何もかも自己責任にするのはやめて、必要な時には政府の介入も辞さないようにしませんか?

アマルティア・センさんに言わせれば、飢餓というのは、食料の不足によって起きるものではなく。食料の分配によって起きるのだという。食料を公正に分配することなく、強者に手厚く分配する(それは、金持ちによる買い占めなどによる結果である)ことによって生じるのだと。「公正な分配」を、どこまで重要視してきただろう。とりわけ、教育機会の公正な分配を。お金さえあれば大学の卒業証書を得るのはたやすいが、お金がなければたとえ難関大学に進学するだけの学力があっても大学進学がかなわない、そんな状態を自己責任の名の下に放置してこなかっただろうか。「経済的価値」ですべてを測ってきた結果、先に引用したような屁理屈を言う人間が出てきた。

これまたアマルティア・センさんの主張を自分なりの理解で表すと、不平等が正当化されるのは、不平等を残すことによって社会全体にとって効率的な時だけである。ある不平等を取り除いたら多くの人々のケイパビリティを損なう場合のみに、不平等を正当化できる。具体的な例を出そう。医師として仕事をしていくには、医師免許が必要だ。医師免許を取るためには、相当の学習をしなければならないし、免許を取った後も修行を続けなければならない。誰もかれも医師としての仕事をすることはできない。これは不平等である。しかし、能力を持った者のみを医師とすることによって、多くの人の健康を向上させることができる。能力によって医師免許を与えるか与えないかを区別するのは、やむを得ない不平等である。これとは逆に、女性よりも男性により医師になりやすいように差別することを考えてみよう。これも不平等だ。だが、男性を優遇することは、ひとびとの健康を向上することには何ら寄与しない。これは正当化されない不平等である。

同じように、より多くの金を払うことができる人間により多くのマスクを割り当てるのは、ひとびとの健康を向上することに何ら寄与しない、許されざる不平等だし、より多くの金を払うことができる人間により多くの教育の機会を与えることも、社会全体の厚生を引き上げることに何ら寄与しない許されざる不平等だ。

そして、「働かざる者食うべからず」なんて理屈を振りかざしてみても、飢餓の解消には一切つながらない。飢餓の解消には、公正な分配こそが必要なのである。その公正な分配を実現するための民主的な政府も。

そろそろ、金がないなら仕方ない的な自己責任論から脱却しよう。