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杉並区は集会施設を「特定の区民の生活を快適にする施設」と考えているらしい。あれ?あれれ?

広報すぎなみの記事

先月1日号の「広報すぎなみ」に、区立施設の使用料見直しについての意見募集の記事があった。その記事によると、杉並区は集会施設を「特定の区民の生活を快適にする施設」と考えている。これに対して、児童館などは「多くの区民にとって必要なもの」と位置付けられている。これに、あれ?あれれ?と思うわけさ。

集会施設を利用するのが「特定の区民」に偏るのは、よくないことだ

現状、集会施設を利用しているのは、多くの場合高齢者や子育てが終わった主婦など、特定の層に偏っている(らしい)。それ自体が問題だと思うですよ。

10代から40代、50代はどこにいるんだろう?答えは言うまでもなく、学校と会社だよね。きょう、獨協大学の学園祭にふらりと行ってきた。大学生のエネルギーは改めてすごいと感じた。大学の敷地を出ると、そのエネルギーはまったく感じられないのだけど。若い世代は、学校と会社に囲い込まれていて、その外には出てこない。そのことを象徴的に示している風景だった。だけど、それってどうなのよ。娯楽は会社の中のサークル、健康管理は会社の福利厚生、と、会社がすべて丸抱え。そういうところから、いわゆる「社畜」が生まれ、「ブラック企業」はそこに付け込む。会社を一歩出ると何もできないから、それでも会社にしがみつかなければならない。

学校にしても事情は同じようなもので、一度学校から出てしまうと、文字通り10代くらいの若者は「何もできない」。野球も、吹奏楽も、その他のレクリエーションも。結果、学校にしがみつかなければならないけれど、その学校も必ずしもすべての子どもにとって居心地のいい場所ではない。

だから、「住民」すべてに開かれている集会施設が重要になる。集会施設で、「会社」や「学校」にとらわれず、自発的にさまざまな活動を行うことができる環境は、すべての区民にとって必要なもの。「会社」や「学校」の中で活動するのではなく、すべての「住民」に開かれた場で、「会社」や「学校」に関係なく、さまざまな活動をできるようにしていくのが理想だ。

そして、そのような活動のインキュベーターになることが、区立の集会施設、とりわけ公民館には求められている。インキュベーターと言っても大したことではない。ある活動をしたいと思った人と人との出会いの場をつくる。そういったしごとだ。集会施設を「特定の区民の生活を快適にする施設」として位置付けていては、住民の生活は決して豊かにはならない。

ここで、前回書いた自治会の話の続き これからは「この指とまれ」型のコミュニティが大事だ

前回書いた自治会の話。「親睦のため」と称して、「自治会」で祭りなどを行うのは、押し付けがましいと書いた。ただ、それに代わるコミュニティは必要とも書いた。そんなコミュニティとは何か。「これやりたい」と思った人が、自主的・自発的に立ち上がって、同志を募って、実際に活動するようなコミュニティだ。それは、おそらく「町内」という狭い単位ではできないことだ。ことによったら「市内」でも狭いかもしれない。「やりたい人が」「やりたいことを」やる環境づくり。これが、行政に求められること。既存の自治会の枠に無理やり押し込めて「親睦」させることではない。それには、「すべての住民に利用される」集会施設などが絶対に必要だし、人と人とをつなぐ役割を担うのも必要。ただ、それは、行政がすべてを用意することではない。行政がやるべきなのは、人々が自主的・自発的に様々な活動をすることができるインフラ作り。それ以上のことは行政にはできない。行政が作為的に人間関係を作ることはできない。もちろん、そのような自主的な活動の主体には、10代の若者も含まれる。自分たちが「やりたい!」と思った活動を、地域にいる仲間と楽しむ。そんな中から、地域に対する愛着は生まれるんじゃないかな。

もちろん、今まで行われてきたようなお祭りを開催するのも、ダメとは言ってない。「この指止まれ」で集まってきた、やりたい人が、やりたいようにやるのは反対しないし、むしろそれも人々の自主的で多様な活動の一つだ。

存外重要な「人と人との出会い」

かつて、とあるひきこもりの当事者会で、ちょっと特殊な当事者会を立ち上げたいという話を聞いた。その時その場に居合わせたひとたちは、ああでもないこうでもないと知恵を絞り、しかし答えは出なかった記憶がある。一番のネックだったのは、同じような仲間をどう見つけるかという点だった。その仲間を見つけやすくするようなインフラ作りがいかに重要かを示すいい例。

ここで一つ朗報を。人が集まるところ、常に出会いがある。活発に利用されている集会施設には、当然たくさんの人が出入りする。たくさんの人が出入りすれば、情報も出会いの機会も飛躍的に多くなる。手前みそになるけれど、自分も「月曜茶話会」というひきこもりの当事者会を開催している。会場にしている施設で、開催しているのをたまたま見て知ったという人がいないわけではない。そんなこともある。

そうやって人が集まり、さまざまな出会いの中で、もしかしたら「みんなでイベントやりましょう」という話になるかもしれないし、あるいは「こんなことをやっている人がいるんだ」と、本当はやりたかったのにやれなかった人が参加してくるかもしれない。

これまたわたくしごとになるんだけど、進修館ファンクラブに入っている。いちおう目的は同じ進修館で行われているさまざまな活動との「出会い」を求めて。もちろん、月曜茶話会に「出会ってもらう」ことも目的に入っている。その割には、イベントには参加してないんだけど(よく考えたら途中退席でもいいからちょっとくらい参加すればよかったな)。これも、もちろん「やらされている」活動じゃなくて、自分がやりたいからやっている活動。「やりたいからやる」のは大事。誰かの「やりたい」を応援する仕組みも(それも結局のところ同じようなことをやりたい人との出会いの機会を作ることだったりするんだけど)。

最後に~驚くべき武蔵野市のコミュニティセンター利用数

武蔵野市は、全市的な自治会・町内会がついに復活しなかった。「自主参加・自主企画・自主運営」を基本としてコミュニティ施策が行われている。それでも、コミュニティ活動は盛んで、2012年中の統計だとなんと市民一人当たり一年間に4回はコミュニティセンターを利用している!「自主」を徹底すると、ここまでできるというよい例。「学校」「会社」「自治会」「町内会」という「ワク」にとらわれず、ひとびとが自主的・自発的にやりたいコミュニティ活動を行える環境を望みたい。