ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

大きな嵐が来るかもしれないときも、わたしたちは社畜でなければいけなかった

大きな嵐が来るかもしれない。とてつもなく大きな嵐が。それでも、仕事は止まらず、いつもと同じように出勤しなければいけなかった。出勤しなければ、生活費がなくなる。

仕事なんかよりもっと大事なことがたくさんあったのに、そっちの方が先になくなって、最後に許されたのが、社畜としてのみ生存すること。わたしたちが社畜としてのみ活動するだけの時間稼ぎを、政府はずっとしていた。専門家たちが何を考えていたのかは知らないけど、政府の方針は、とにかく国民がギリギリまで社畜として働くように仕向けることだった。

大きな嵐が来るかもしれないのだから、もっとじぶんにとって価値のある活動の方を優先させたかった。現実には、社畜としての活動以外はどんどんなくなり、ただ社畜として生きるしかなくなっていた。「贅沢は敵だ」の戦時中と何も変わらない。

大きな嵐を無事生き延びたら、この恨みは絶対に票にぶつける。今の与党には金輪際票を入れない。