ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「若者だけ家にいてくれれば」とカメラの前で語った高齢者を見て反省しなければ

Twitterでバズったので知ったのだけど、テレビのインタビューに対して「若者だけ家にいてくれればありがたいと思うよ」と答えた高齢者がいたらしい。

まあ、当然のことながら炎上してますわな。だけど、この高齢者が言ってることって、日本に住む人の典型的な思考回路そのままのように見える。そんなことを考えてると、この高齢者に石を投げられる人がどれくらいいるかは大いに疑問(わたしも含めて)

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。―ヨハネによる福音書、口語訳。

「若者だけ家にいてくれればありがたいと思うよ」と言った高齢者の頭の中には、若者を「ソト」に置いて、「ソト」の人間である若者はぞんざいにしていいとの考えがあったんだろう。こういう思考回路、日本に住む人にとっては大変なじみ深い考え方。

古くから、何らかの恣意的な線を引いて、ある人たちを「ソト」に置いてきた。その典型例は部落差別。「ケガレ」意識によって、「ケガレ」とした仕事を部落の人たちに割り当ててきた。今でも部落差別は残っているけど。

近年では、こういう考え方を正当化するために、「自己責任」なんて言葉が持ち出されるようになった。あいつらが「ソト」にいるのは「自己責任」だ。だから、「ソト」の人間はぞんざいに扱っていい、と。

最近でもありましたね。武漢からチャーター機で命からがら帰ってきた人々が、知らない人との相部屋、それもテレビもないような部屋で14日間過ごさなければいけないことに不満を漏らしたら袋叩きにされた話が。あれなんか、「ソト」の人間だからぞんざいにしていいとか考えちゃってたんだろう。

自粛要請によって収入が激減したり、収入そのものが絶たれた人たちに対しても、容赦なく自己責任論が投げつけられる。「ソト」の人間だからいくらでもぞんざいにしていいと考えてるからこんなことができるんだな。

さらに少しだけさかのぼれば、生活保護受給者へのバッシングも全部このパターン。自民党は、よりにもよって生活保護の現物給付を推し進めると言ったことがある。今出ている経済対策の「お肉券」ってのはこの延長だね。生活保護受給者を「ソト」に置いて、ぞんざいにすることを許してきた結果、政権党は増長したと書いたら言いすぎだろうか。

「死ぬなら一人で死ね」論も、このパターンだね。わざわざ進修館のスキップ広場で、ひきこもりは社会に迷惑かけるんじゃないと説教かましてくれた人間も、もちろんこのパターン。

https://www.hikipos.info/entry/2019/06/02/070000

なお、アマルティア・センさんによれば、自己責任論で叩いても、飢餓の解消にはならなかった例があるとか。そういえば、自己責任論振りかざして飢餓を解消した国って聞いたことないな。

自己責任は自由が担保されるから大好きとわざわざリプライ飛ばしてきてくれた人がいたけど、この人の言い分がまたすごい。「普段から食生活に気を配って、免疫力を高めていたらホームレスになっても、罹患して死ぬことはない」ならどこの国の政府も苦労しないよ。まあ、高みの見物できるからこんなこと言ってるんでしょう。

今後も、なんか適当な理屈こじつけて、「自己責任」とか言っちゃって、「ソト」に置かれる人の数はどんどん増えるだろう。そして、そういう人が死のうとどうしようとまあどうでもいいんだろう。死者の内訳は大きく変わるかもしれないが、多分総数は減らない。

そうやって、犠牲者を「ああ、あの人たちは自己責任だからしょうがなかったよね」と残酷に総括して、来年夏に大画面テレビでのんきにオリンピック観戦する人々。ああ、ディストピア

と、こうならないように、わたし自身も反省しなければ。わたし自身の頭の中にも、ついついこういう考え方がもたげてくることがある。