ふらふら、ふらふら

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「ケガレ」意識、部落差別そのものだってば

このまとめね。

https://togetter.com/li/1487461

平安時代から続く「ケガレ」を避ける風習が感染症対策だったかもとどこかの人がツイートして、それがバズってるんだけど、「ケガレ」という概念そのものが部落差別を生んでるんだってば。

「ケガレ」とされた仕事を、部落の人たちが担ってきた。今もその名残は残っている。そのような仕事をしている人を「ケガレ」として「ソト」に出すのが、「ケガレ」意識。「ケガレ」意識は、「ケガレ」とされたものを「ソト」に出すような思想で、どう言いつくろおうと差別でしかない(部落の人たちを指す蔑称のひとつが、「ソト」にあることを示すような呼び方なのは想起したい)。

ハンセン病の患者さんを、「療養所」という社会の「ソト」に出していたのも、これの変種。

過去、感染症を「ケガレ」として「ソト」に出してきた悲惨な歴史から、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律感染症法)は、前文で次のように書いている。

一方、我が国においては、過去にハンセン病後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。

今も、それは連綿と続いている。武漢からチャーター機で返ってきた人たちに対する心ない発言、あるいはまったく知らない人と相部屋で何日も暮らすように要請する厚生労働省の対応は、まさに「ソト」の人間に対してなら何をしてもいいと思ってることの表れ。

COVID-19の患者さんを診療している医療従事者もまた、いわれのない差別を受けている。

「ケガレ」思想は、こういう、差別的な思想そのものでしかない。たとえわずかばかりの正しさがあるとしても、その思想の根幹が差別的なのだから、やっぱり「ケガレ」意識なんて捨てなきゃいけない。