ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「みんな」が利用できるはずの公共交通から「だれか」をのけ者にした先に

つい最近、Twitterで、双子用ベビーカーでバスに乗車しようとした方が、「たたまないとダメ」と、実質的に乗車できなかったという話が話題になった。なんかもやもやする。バスや電車などの公共交通機関は、「みんな」が利用できて初めて存在意義がある。「だれか」をのけ者にする「公共交通機関」に存在意義はあるんだろうか?

存在意義のあるなしは置いておくにしても、「だれか」をのけ者にした公共交通機関は、やがて「みんな」が乗らなくなって、存続できなくなるのは明らか。

いいでしょう。バスに乗らなくても、自家用車に乗ったらいい。若いんだから。自家用車で移動したらいいと言っている人もいた。一度自家用車を利用し始めた人が、子育ての手が離れたからとバスに戻ってきてくれるなんて都合のいい話はない。こうして、ひとりの若い人がバスに乗らなくなる。ひとり、またひとり、どんどんバスからマイカーに移って行って、ついにバスは赤字で廃止になってしまいました。そのとき、どうする?

病院や公共施設の話も似たようなところがある。「子連れなんだから来るまで行ける病院や歩いて行ける病院に行けばいい」と、「だれか」の病院の選択肢を狭めたとしよう。まあ、最初は不便だ。マイカーでのアクセスなど考慮してないから。だんだん、公共交通機関からのけ者にされて、マイカーを利用するようになった「だれか」が増えれば、病院はマイカー利用が前提の場所に移転する。市役所などの公共機関も同じだ。土地が安い国道沿いに立地すれば、税金の節約になる。そのとき、公共交通機関しか足がない人は無視される。あのとき、公共交通機関からのけ者にした「だれか」。のけ者にされたからマイカー利用に移行した「だれか」。その「だれか」は、もうマイカーでの生活にすっかり慣れ切ってしまっているから、マイカーでしかいけない病院でも、マイカーでしかいけない役所でも、別に不便はない。マイカーがなければ食料品ひとつ買い物に行けなくなっても、マイカーを乗り回しているから別に困らない。

あのとき、「みんな」の中からのけ者にした「だれか」が、こんな時に公共交通機関しか足がない人のことを考えてくれることは、たぶんないだろう。「自分はマイカー利用だから不便じゃない。マイカー利用できないなら、近所の病院にしたら?十分な医療が受けられなくてもしょうがない。買い物ができなくてもしょうがない」と、公共交通機関を利用してきて、ベビーカーを利用するひとをのけ者にした「あなた」は言われることになる。

モータリゼーションが進んだ街って、公共交通機関からマイカーへの移行があって、様々な施設もマイカー利用が前提の立地になって、結局車がないとどこにも行けない街になるという経緯をたどっている。その流れをちょっとくどくど説明してきた。「だれか」をのけ者にすれば、「あなた」もそのうちのけ者にされることになる。