ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「ベビーカーでバスに乗せるくらいなら、クルマ買え」と言ったその先に

 こんな未来にはなってほしくない、という未来像を書いてみました。若干の誇張はありますが、「バスなど利用せずにクルマを利用したらよい」と言っている人たちの言うとおりにしたその先に待っているだろう出来事です。

 Twitterで「双子用ベビーカーでバスに乗れなかった」との投稿を見た東京都内に住む山田さん。すぐに、「バスに乗せずにタクシー使うか車買えばよい。経済的に厳しいなら地価が安い郊外に引っ越せば?」とレスポンスした。そうして、溜飲を下げてすっきりした。そんな山田さん、ふだんからクルマを乗りこなしていて、バスなんて利用しない。子どもを病院に連れていくときもクルマ。どこに行くにもクルマだった。

 時は流れ、山田さんの子どもも大きくなり、孫ができた。子どもは経済的にそれほど豊かではないので、あの時と同じように「郊外に広い家を買ったら」とアドバイス。山田さんの子どももそれに納得して、東京の郊外に家を買った。

 山田さんが子どもから聞く話によると、通勤するパートナーを毎朝車で送迎するらしい。どこに行くにもクルマが便利で、クルマなしでの生活は考えられないらしかった。

 ときどき顔を見せに来る孫はかわいらしく、このまますくすく育っていくものとばかり思っていた。そんな山田さんのもとに、ある日、警察から電話があった。「お子さん夫婦とお孫さんが乗った自動車が事故に遭い、お子さん夫婦もお孫さんも即死した」との知らせだった。それまでの幸せな生活は一変した。慌てて警察に向かい、子どもたち家族と無言の再会をした。

 加害者は高齢ドライバー。ブレーキとアクセルを踏み間違えて事故を起こしてしまったとのことだった。山田さんが加害者に詰め寄ると、「このあたりはバスもなにもなくて、クルマでないと病院にも行けないので、仕方なく危険を承知でクルマを運転していた」と話していた。さらに驚いたことに、かつてTwitterで「バスに乗せずに車買えばよい。経済的に厳しいなら地価が安い郊外に引っ越せば?」とレスポンスした相手が、事故の加害者になっていた。

 警察が言うにも、このあたりはみんなクルマを使うから、もう何十年も前にバスは廃止になっていて、クルマがないとどこにも行けない地域だとのことだった。そんな地域で、かつて子育てしていた世代がそのまま住み続けていて、住んでいる人も高齢者ばかり。高齢ドライバーによる事故は日常茶飯事と話していた。日常茶飯事だから新聞にも載らない、と。

 山田さんは、ことここに至って、初めてあの日のレスポンスを心から後悔した。ところが、山田さんの受難はまだ終わらなかった。

 この事故をきっかけに、政府は高齢ドライバーに対する対策をさらに強化。65歳を超えた高齢者は、自動的に運転免許を取り消されることになった。ふだんからマイカーを乗りこなしていた山田さんも、とっくに65歳を超えていたので、免許取り消しの対象になった。初めて路線バスを利用しようとして、区役所に電話した。ところが、山田さんが住んでいる地域でも、バスの乗客がとても少なく、バス路線は数年前に廃止されたとの答えだった。区の職員は、「それでも、ずいぶん遅くまで残っていたほうです」と言っていたが、そんなことを言われても、山田さんの生活が楽になるはずもなかった。

 山田さんも高齢になり、持病がいくつもあって、定期的に大きな病院で診てもらっていた。ところが、クルマが使えなくなり、バスもないのだから大変。若い人の足で徒歩40分以上の道のりを、ひたすら歩かなければいけなかった。タクシーを使うことも考えたが、タクシー会社さえ撤退していたので、それもかなわなかった。かくして、今や山田さんは自分の足でひたすら歩かなければ通院できなくなってしまった。

 そうやって通院を始めて、山田さんは初めて気が付いたことがある。山田さんがかかっている病院は、家族のクルマで送迎してもらう人か、自分で運転して来る人しか来ていなかったことを。もう、ベビーカーも乗せられない路線バスなんて窮屈な乗り物を使う人などいなくなっていた。

 山田さんは通院の度に歩き続けた。ある夏の日など、熱中症で救急車のお世話になった。それでも、通院をし続けなければ命にかかわる。そんな山田さんも、とうとう限界に来てしまった。山田さんは、治療を断念した。

 それから数か月後、今では通院できないという理由で治療を断念したさまざまな病気の人を引き受けている、緩和ケアの専門医に見守られながら、山田さんは息を引き取った。