ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

日本に社会保障制度はほとんどない。「奉公」に対する「ご恩」はあるかもしれないけど。

 東京都立大学教授の阿部彩さんが作成した「貧困統計ホームページ」*1に、気がかりな数字を見つけた。このページにある報告書だ。

www.hinkonstat.net

 なんと、この報告書によれば、子どもの貧困率は、社会保障制度による再分配後のほうが高くなっている!(阿部彩(2018)相対的貧困率の長期的動向:1985-2015」科学研究費助成事業(科学研究費補助金)(基盤研究(B))「「貧困学」のフロンティアを構築する研究」報告書) 子どもを育てる「世帯」単位で見ても、再分配後のほうが貧困率が高い。信じられないことに、子育て世帯に関しては、社会保障制度がない方が貧困率を引き下げる。

 こんなことになる理由には思い当たる節が二つばかりある。ひとつめ。日本の社会保障が高齢者を主な対象にしていること。子ども向けの社会保障は、高齢者向けの社会保障に比べるとはるかに貧弱だ。社会保障費用統計(厚生労働省)には、主な5か国の政策分野別社会保障支出の国際比較の数値があるが、5か国の中で高齢分野の社会保障費用の割合が一番高いのは日本だ。かくして、子どもへの再分配は手薄になる。それどころか、年金保険料などの負担ばかりがのしかかることになる。

 ふたつめ。日本の社会保障制度が、社会保険を中心にしていること。社会保険制度は、どうしても、「払った額に応じた給付」になりがちである。現役時代にいくら保険料を払ったかでいくら受け取れるかが決まる年金制度が典型。なので、同じ世代の中での再分配機能はとても弱い。若い世代から高齢世代への再分配機能はとても強いのだが。

 と、こうして見ていると、そもそも日本に社会保障制度なんてほとんど存在しないんじゃないかとうがった見方をしたくなる。長年「奉公」したことに対する「ご恩」としての年金。だから、「奉公」してない子どもに出すお金なんてない、となる。かといって、高齢者のすべてが恵まれているわけでもなく、若い時の「奉公」が足りないとされた(社会保険料をあまり払ってない)人なんかは、スズメの涙ほどの年金しかもらえない。そういう人は、往々にして生活保護制度を利用することになる。しかし、生活保護制度を利用する高齢者に住宅を貸してくれる家主は少ない。かくして、「無届けホーム」のような施設があてがわれることになる。そのあてがわれた施設も、防火設備が手薄であるなどして、火災が起きたら一巻の終わりだったりする。「奉公」が足りない高齢者は、最後には防火設備の手薄な施設で焼死する。もちろん、焼死する高齢者はそんなに多くはないのも事実だが。あれ?これって、相当なディストピアじゃない?