前回の記事の補足のようなもの。前回の記事では、わたし個人のことも少しだけ書いた。もう少しだけ、詳しく書く。わたしは、子どもを自分のおもちゃのようにしか考えてないような親の下で育った。そんな親は、気まぐれにわたしのことをいたぶる。要するに虐待だ。ついに耐えかねて、児童相談所に電話したこともある。それで児童相談所が保護してくれると思ったら甘い。保護なんてしてくれなかった。
そういう状況下でメンタルをやられないはずもなく、今にして思えば中学校のころから精神的な不調を抱えていた。それが不登校につながる。そんな状況でも、高校という場所に憧れは持っていた。行きたいとは思っていた。だが、わたしが中学校を卒業するころの経済状況はとても悪く、高校に行けるような状況でもなかった。そもそも中学校に通っていなかったので進路指導なんてものにも置いていかれていた。卒業証書を取りに行ったときに、学費が年間100万円以上もするサポート校のパンフレットを渡されたのが唯一の「進路指導」だった。
子どもの学費は親が用意するもの、親に金がなければ子どもが貧しい生活をしても仕方ない、そんな「自己責任論」は表立っては言われてなかったものの、現実にはそんな「自己責任論」で社会は動いていた。だからこそ、わたしも高校生活なんてものを体験することなくここまで来た。
今でも、ネット上では、「親の自己責任」を強調することがけたたましく言われる。「ベビーカー様」や「子連れ様」なんて言葉が、親を批判する文脈で使われる。そういう言葉を使う人の本音は、「子どもを産んだのはあんたの勝手、自分たちに迷惑かけるな」である。そんなことを言ってるのはネット上の一部の人たちの話ではあるが、現実の社会もだいたいそんな原理で動いている。「子どもは親が育てろ、他人に迷惑かけるな」と。そんなことを大っぴらに言う人はさすがに少ないが。
わたしの話に戻ろう。わたしの子どものころの体験は、わたしの人生に不可逆的な悪影響を与えた。もはやこれは仕方ないと諦めるしかないことだ。そんなわたしの経験から言わせてもらえば、「家族」なんてものを強調し、「家族」のみで行動することを幸せだと感じるのは、既得権益を持ってる恵まれた人の話にしか聞こえない。子どもをおもちゃにして遊んでいる親は幸せだろう。あるいは、恵まれた子ども時代を過ごして、自分でしあわせな家族を築いた人も幸せだろう。わたしにはどちらの幸せもない。
マイケル・レーベンバウムさんは語る。
リヒャルト・ルーベンシュタインのパイオニア的な著作、『アウシュヴィッツ以後』は、ホロコーストに関する神学的な問いを投げかけ、ホロコースト後の思想のための検討課題を設定した。彼が考えた、ホロコーストによって残された究極の問いかけとは、国家は、経済的基盤のない「ただ負担になるだけの」国民にどう対処すべきか、というものである。「ただ負担になるだけの」国民の大量殺教は、現代国家にとって永遠の誘惑である。アメリカにも、そうした国民はいる。働けない老人、働こうとしない若者、仕事にあぶれた失業者、少数民族に多く見られる非常に貧しい人びと……。彼らは何世代も定職のないまま暮らしていく。だがわれわれの社会は、これまで社会的正義という約束を築いてきた。そのような社会では、働いている世代が若者を教育し、老人に社会保障を与え、貧しい者に最小限のサービスを提供することが、当然とされている。今後、経済格差のひずみが、そのような約束事を壊してしまう可能性があるのだろうか?
と。危険な立場に置かれた誰かを守る約束を維持し続けることの意味は、少なくとも20年以上も前から、それはすなわちわたしが中学校に入学するころからなんだけど、指摘されていた。なのに、この日本の社会は、わたしの子ども時代の過酷な環境を、決して何とかしようとしなかったし、わたし以外の子どもの生活環境を改善する企てにも、社会はあまり熱心ではないことを知っている。そんなわたしは、佐々木淳さんが言うような「将来、あなたが危険な立場に置かれても、この社会はみんなであなたを守るために努力をします」との約束が、すでに一部では壊れていたことを知っている。もしかしたら、佐々木淳さんの目に留まった、この記事の執筆者も、そのことに気付いているのかもしれない。
そのような状況の中で、ひとり高齢者だけが、危険な立場に置かれたときに社会みんなで守る努力をしてもらえると考えるのは、あまりにも自分勝手ではないだろうか。わたしには、既得権益者を守るためだけに努力せよ、と命じられているようにしか見えない。