ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

たまたま裏山ががけ崩れしただけで

Abemaビデオで、テレメンタリー2020のエピソード「降る、揺れる、崩れる」を見た。このエピソード。

https://abema.tv/video/episode/89-78_s10_p45

この番組に、北海道胆振東部地震で自宅の裏山ががけ崩れを起こして、その対策工事費を自己負担するか、裏山を手放すか、どちらかを選ばなければならない方が出演していた。工事費用は14億円。所有者負担は最大2割。それでもざっと計算したら2億円強。それが払えなければ、裏山を道に無償で譲り渡さなければならないという。道職員は、どこも同じ基準でやってるので、とのこと。

道の立場からすれば、私有地のがけ崩れなのだから、所有者に一部負担を求めるのは当然となろう。私有地のがけ崩れをなんで道が全額負担して工事しなければならないのか、と。それはわかる。わかるんだけど、所有者だって好きでがけ崩れを起こしたわけではないし、たまたまがけ崩れするような山だっただけなのである。がけ崩れするような山でなければ、何億も負担せずに所有し続けられたのだ。所有していたのがたまたま平坦な土地だったのか、山がちの土地だったのか、それだけでこうも運命が変わってしまう。あまりにも不平等で理不尽でなかろうか。と、わたしは思う。道の立場もわかるんだけど、もう少し何とかならないものなのか、そんなことを思った。

これと同じような話を最近見つけた。在宅医療のトップランナーと称される医師の佐々木淳先生のポスト。

https://www.facebook.com/junsasakimd/posts/3048794721833045

先生は、営業自粛要請に対する補償に否定的。経営環境の変化によって事業が危うくなっただけなのだから、政府が補償する必要はない、と。そんなに簡単に割り切れるものではないと感じる。さっきの裏山の話と同じ。たまたまコロナという災害に弱い事業だった。それだけのことなのに、ダーウィンまで持ち出して(しかもそれも誤用の疑いが強い)、経営者の意欲と覚悟の問題にして、政府の責任を不問に付してしまっているのはどうかと思う。

社会のニーズに対応する、それはもちろん大事だ。がけ崩れした山を放置しておくことは許されない。工事は必要なんだけど、その工事費用を自己負担できないのを所有者の意欲と覚悟の問題にしていいはずがない。今生き残っている事業者は、意欲と覚悟とやらがあったから生き残ってるのだろうか?それとも、たまたま平坦な土地を所有していただけのことだったのだろうか?それを判断するのはとても難しい。そう考えると、社会的に何とかしなきゃいけない部分も大きい。一概に意欲と覚悟の問題としてしまい、政府の責任を不問に付すのは大きな問題がある。また、峰宗太郎先生は、不用意にも、この状況に適応できた人が今後しばらくは勝ち組になるのでしょうとツイートしていたが、これも危険な話。たまたま裏山が崩れただけの人を「負け組」と言ってるようなものだから。

ダーウィンをこういう文脈で持ち出すことの危険性については、日本人間行動進化学会が声明を出しているので、そちらも参照されたし(PDFファイル、要注意)。

https://www.hbesj.org/wp/wp-content/uploads/2020/06/HBES-J_announcement_20200627.pdf

もうひとつ。社会のニーズに応えるのも経営者の責任ではあるが、ニーズを出している社会の側も応分の負担はしなければならない。当たり前のことだ。それをサボるとどうなるかは、成田空港問題がよーく示している。成田空港は社会的にニーズがある事業だったとは思うんだが、当時その土地で農業を営んでいた人たちに「社会のためにそこをどけ」と一方的に言えばそりゃ怒りますよ。当たり前。その結果、問題は泥沼化し、何人もの死者を出した。社会のニーズを一方的に押し付けるのはアンフェアだ。

ひとつだけ余談。

「コロナのせいで」と思考停止の罠にとらわれることなく、問題の本質を何か(誰か)に転嫁してごまかすことなく、しっかりと課題に向き合い、誰にとってもよりよい「アフターコロナ」の社会が作られていくことを、心の底から願っています。

と佐々木先生は書いているが、そんな簡単に「誰にとってもよりよい」なんて実現できない。エネルギー構造の変化によって北海道や福岡の炭鉱が次々閉鎖されたが、炭鉱を抱えていた地域は青息吐息。産業構造の変化なんてのはそんなに生易しいものではない。だからこそここでも政府の介入が必要なんだが、その政府の介入を求める声を「誰かに転嫁してごまかす」と言ってるようでは、「誰にとってもよりよい」なんて無理である。

2020.10.08追記

炭鉱を抱えていた地域がエネルギー転換でどれだけ悲惨なことになったか。一例を示すと、福岡県の田川郡では、一時生活保護の利用率が200‰(20%)を超えていた。近年でも、人口の10%が生活保護を利用している。数字は福岡県田川保健福祉事務所のサイトにある「事業概要」にある。

https://www.pref.fukuoka.lg.jp/soshiki/4403905/

別の一例を示すと、炭鉱閉山後に新しい産業を作ろうとした夕張市は、結局財政破綻した。産業転換とはそんなに生易しいものではない。