ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「お上頼み」ではうまく行かない

戦前・戦中の教育が、政府によって厳しく統制され、現場の創意工夫を認めてこなかった反省から、1947年に作られた学習指導要領一般編(試案)は、次のように記した。

「これまでの教育では,その内容を中央できめると,それをどんなところでも,どんな児童にも一様にあてはめて行こうとした。だからどうしてもいわゆる画一的になって,教育の実際の場での創意や工夫がなされる余地がなかった。このようなことは,教育の実際にいろいろな不合理をもたらし,教育の生気をそぐようなことになった」
「もちろん教育に一定の目標があることは事実である。また一つの骨組みに従って行くことを要求されていることも事実である。しかしそういう目標に達するためには,その骨組みに従いながらも,その地域の社会の特性や,学校の施設の実情やさらに児童の特性に応じて,それぞれの現場でそれらの事情にぴったりした内容を考え,その方法を工夫してこそよく行くのであって,ただあてがわれた型のとおりにやるのでは,かえって目的を達するに遠くなるのである。」
「直接に児童に接してその育成の任に当たる教師は,よくそれぞれの地域の社会の特性を見てとり,児童を知って,たえず教育の内容についても,方法についても工夫をこらして,これを適切なものにして,教育の目的を達するように努めなくてはなるまい。」

ところが、その後、教育における現場の創意工夫は、どんどん削がれていくことになる。文部省が示した「正解」に従って現場は動くようになる。現場の創意工夫を強く促すようになるのは、1989年改訂の学習指導要領。冒頭に次のような文面が記された(小学校学習指導要領。中学校・高等学校の指導要領もほぼ同旨のことが記されている)。

各学校においては、法令及びこの章以下に示すところに従い、児童の人間として調和のとれた育成を目指し、地域や学校の実態及び児童の心身の発達段階や特性を十分考慮して、適切な教育課程を編成するものとする。

もともとは1968年改訂の小学校学習指導要領の冒頭に記された文章が、少しずつ改変されたものである。1968年改訂の学習指導要領の冒頭の文章。

学校においては,法令およびこの章以下に示すところに従い,児童の人間として調和のとれた育成を目ざし地域や学校の実態および児童の心身の発達段階と特性をじゅうぶん考慮して,適切な教育課程を編成するものとする。

句読点が入ったことや、ひらがなを漢字に置き換えたこと以外、ほとんど変わっていないように見える。ところが、1989年改訂の小学校学習指導要領の一番最初に、極めて重要な一文字が記された。それまで「学校においては」から始まっていたのが「学校においては」から始まるようになった。この一文字を入れた趣旨を記した新聞記事をかつて読んだことがある。日付も覚えていないが、文部省の言う通りにするのではなく、学習指導要領をもとに各学校で創意工夫してほしい、そんな願いをこの一文字に込めたのだという。

その後、この一文字に込められた願いは、必ずしも実現しなかった。相変わらず学校は文部科学省に「答え」を求めるし、そんな学校で育ったわたしたちも政府に「正解」を求める。

誰かが「正解」を教えてくれるわけではない局面に、今わたしたちは立っている。基本的な考え方は専門家に教えてもらいつつも、その基本的な考え方を現場でどう生かすかは、わたしたち個々人の創意工夫にかかっている。

政府が「公園はいいよ」と言ったらみんな公園に行く。政府が「食料品の買い物はいいよ」と言ったらみんなでスーパーに行く。それではダメなのだ。政府が示した例を唯一の正解として、その通りにするのではうまくは行かない。わたしたち個々人が、自分の頭できちんと考えないといけない。

ある日の帰り道。人気のない道で、若者二人がスケボーで遊んでいた。また少し行くと、人気のない小さな公園で、これまた若者がボール遊びをしていた。さらに進むと、誰もいないラーメン店に入っていく若者がいた。「人との接触を極力減らす」という基本的な考え方を基に、賢く行動していた若者たちの姿を見た。わたしたちは、学校で「先生が正解を教えてくれる」と知らず知らずのうちに学んできた。だから、政府が示した例を「正解」として、みんなで公園に行ったり、みんなでスーパーに行ったりする。しかし、今求められているのは、人気のない道でスケボーで遊ぶような賢さだ。