ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

賢く行動して、コロナから逃げ切る

「情報を得て自発的に行動できる人間は、警察の取り締まりを受けて動く無知な人間に比べて危機にうまく対処できます。数百万人に手洗いを徹底させたい場合、人々に信頼できる情報を与えて教育する方が、すべてのトイレに警察官とカメラを配置するより簡単でしょう」
―ユヴァル・ノア・ハラリ、朝日新聞のインタビューに対して(2020年4月15日、東京本社版朝刊)

昨日発表された「新しい生活様式」にはかなりのショックを受けた。それこそ夜も眠れないくらいのショックを。ああ、これからの世界はブロイラーか何かのように生きていくしかないんだと思い詰めた。そこでふと思い出した。和田耕治先生のインタビュアーを。

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-wada-7

このインタビューの中で、次のくだりが印象に残った。

個人、家庭、事業者ができるだけの対策を重ねて、どうやってリスクを引き受けながら生活していくかということを考えないと、年単位なわけですから続きません。みんなで開けるために知恵を絞るしかないのです。

かなりの長丁場になることが予想されている。そんな中で、ただ閉め続ける、それでは長続きしない。だから、「どうやって開けるか」、知恵を絞らなければならない。そんな趣旨だ。

「新しい生活様式」は、かなり細かいことが書き込まれている。そこまで細かく書かないとわからない方もいるだろう。でも、ちょっと待って。専門家会議が行われている会議室で、わたしたちの暮らしのすべてを見通して判断できるはずもない。もしそれでも判断させようとしたら、「全部閉める」という結論にしかならないのは目に見えている。「新しい生活様式」は、そんな中でもずいぶん日常生活に配慮したほう。そして、これは「実践例」。なので、この「実践例」の背後にどういう理由があるのかを考えながら、わたしたちは日々考えていかなければならない。箸の上げ下ろしまで政府に判断してもらうのは楽だけど、そんな細かいことまで政府に介入されるのを許すのか(そして、そんなことまで考えるリソースは政府にはない)。考えなければいけないのは現場にいるわたしたち。

そこで冒頭に引用したハラリ氏のインタビューを思い起こそう。情報を得て自発的に判断できる人間の方が、危機に対してうまく行動できる、と。専門分野は違えど、ほとんど同じようなことを二人の学者が言っている。わたしたちは賢くならなければならない。そして、引き受けて考えなければならない。

まあ、緊急事態宣言が出ていて、集中的に感染者を減らさなければならない今の時期に多摩川で50人集めてバーベキューやったのは愚行だとは思うが、では緊急事態宣言がいったん解除されたら?人数が少なければ?家族だけならば?など、考慮しなければいけない要素があまりにも多すぎる。これ全部政府が判断するのは無理。だから、しっかりと学んで、かしこく行動しなければならない。ちなみにわたしはバーベキューに関してはちょっとご遠慮願いたい。

Twitterでふとタイムラインを流し読みしてたら、「新しい生活様式」でボドゲはできるのかと疑問があった。それこそ、「新しい生活様式」の例示の裏にある基本的な考え方を基に、自分たちで考えて決めなければならない。会場がどのくらいの広さなのか、何人くらい集まるのか、など。ちなみにわたしなら手洗いの徹底と人と人との距離が取れること、マスクを着用するなどの対策を取った上でボドゲ会ならやっていいんじゃないかと思っている。

買い物に行くたびに財布を消毒しているという話も聞いた。電子決済も提案されている。電子決済は決済スピードを速くする目的もあるんだろうが、財布や現金を触った後は手洗いをするってことの方が接触感染防止のためならはるかに効果的ではないの?そこまで考えることが「賢く行動する」ってこと。残念ながら未だにちゃんと手洗いしている人はあまり多くない。さすがにアルコール消毒は使われるようになったが、ちゃんとできてるのか甚だ心もとない。

図書館。そりゃあ、閉めておけば簡単だ。だけど、年単位の長丁場が予想される中、図書館を年単位で閉めていて本当にいいの?わたしたちが賢くなって、なるべくリスクを下げる使い方をしていくようにして、開けていかなければいけないんじゃない?和田耕治先生もおっしゃっていたが、図書館を開けられないようならほかのところも開けられない。賢い使い方ってのは、図書館の本に触れた手で顔に触らない。顔に触るときは手を洗ってから。

「公園は安全と政府に言われたから」と、人が密集している公園に遊びに行くたくさんの人たち。これも、自分の頭で考えないといけない。住んでいる場所の特性なども考えながら。たとえば、宮代とか春日部とか越谷あたりだと、自転車で10分も走れば人気のない道に出る。公園でレジャーシート広げるファミリーより、田畑の中を通っている人気のない道でスケボーする若者の方が確実に賢い。

ひきこもり当事者界隈でも、庵とかひき桜は難しいだろう。あの面積の部屋に、30人からがいるのだから。しかもそれだけの人数だと、手洗いの徹底も難しい。ところが、参加者数多くて6人の月曜茶話会だと、話は変わってくる。かなり広い部屋をせいぜい6人で使うわけで、しかも徹底した手洗いをしてくださいとお願いしたら徹底して手洗いをしてくれる参加者に恵まれている。手前みそだが。ひき桜と同じことを、月曜茶話会がしなければならないわけではない。

わたしたちは、賢くならなければならない。政府に答えを求めるのではなく。政府がすべてのことを知っているわけではない。現場のことはむしろ私たちの方が知っている。基本的な考え方は踏まえつつ、それぞれの現場に応じてどう対応していくか。長丁場が予想される中、「どうやって開けるか」を考える局面にさしかかりつつある。緊急事態宣言が今月末まで延長された。特定警戒都道府県では変わらず接触8割減が求められている。その間に、「どうやって開けるか」を考えなければならない。「どうやっても開けられないから閉めておく」という結論になる場もあるだろうが。

記事のタイトルにあえて「逃げ切る」との言葉を使った。専門家会議は。新しい生活様式は「時間稼ぎ」と明確に言っている。新しい生活様式でしのいでいる間に、ワクチンや治療薬などを開発することが前提。開発されるまでには年単位の時間がかかるかもしれないが(でも最近それも自信がなくなってきた。研究のスピードが早すぎて)。ワクチンや治療薬で反撃できるようになるまで、「逃げ切る」。それも、賢く考えながら。