ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「新しい生活様式」の下で「居る」を維持することの難しさ

朝方この記事を読んだ。

https://www.hikipos.info/entry/2020/05/04/070000

それから昼前に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の「新しい生活様式」の提言案のニュースが流れてきた。

https://times.abema.tv/posts/7052629

提言案を見て、率直に、経済(とりわけ重厚長大産業)は元通りとはいかなくても、かなりの割合は元通りにできるだろうと感じた。

大きなダメージを食らいそうなのは、「居場所」的な何か。経済性とか生産性という観点からはともすれば軽視されがちな部分。学校再開も、学力の話ばかりで、子どもの居場所をどう確保するかの議論はほとんど見られない。わたしに言わせれば、経済とか学力なんてどうでもよくて、「居場所」こそ重要。そのことを考えてないような人たちが提言を出したから、「料理に集中、おしゃべりは控えめに」なんて言い出すんだろうなと。

今日出てきた提言案には、居場所的なものについての検討はされなかった。ひたすら経済の話だけ。「生産性」や「経済性」という物差しで測れるものだけを維持しようと考えているようにしか思えない。政権のオーダーが経済一本だったためかもしれないから専門家会議を責めるのは酷かもしれないが、それにしてもである。

今後しばらくは、居場所的な何かはオンラインでの開催以外はできなさそうであることがはっきりしてきた。オンラインで「居る」を維持するのがとても難しいのは冒頭に出した喜久井ヤシンさんの記事の通り。経済性とか生産性が何よりも重視される世の中がしばらくは続くだろう。そういう世の中を生きる価値がどれだけあるのか、わたしには大いに疑問なのだが。

生産性とか経済とかそういうものが何よりも重視される兆候を示すエピソードを二つだけ紹介して終わる。

一つ目。やや古い記事になるが、時事通信が配信した記事。PR記事ではあるが。

https://www.jiji.com/jc/article?k=000000026.000032757&g=prt

今こそマッチングアプリ!って言わんばかりの記事。マッチングアプリなるものは使ったことがないのだが、多分学歴や収入などといったスペック(人間に使うのは嫌な言葉だ)で絞り込んだりしてマッチングしていくんだろう。めちゃくちゃ生産性が問われる。「ともに居る」ことから一緒になろうというルートはない。

二つ目。今はやりのオンライン飲み会の話。

https://togetter.com/li/1502489

会社の上司に自宅の中までチェックされて説教されるというなんという地獄か。プライバシーゼロ。かくして、生活のすべてが会社に捧げられるのでありました。ここでも、経済のための奴隷としてのみ生存することが許されるという方向性が少しづつ見えてきている。

そういう時代に、どうやって「居る」を維持できるだろう?答えは見つからない。