ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

巨大システムのパーツとして暮らすより、ローカルで回るシステムの中に暮らしたい

 今朝がたの記事。

toyokeizai.net  最初読んだとき、ディストピアを作る提言だな、と感じた。そう感じたのも、西浦先生が次の二つのツイートをリツイートしていたのを思い出したからだ。

 

 「図書館で本を借りる」便利を捨てなきゃいけないが、「テレビ電話」「ネット通販」「キャッシュレス」は「積極的に使う便利」と整理したこの方のツイートをそのままリツイートしていた。

 その印象から、西浦先生が「仕事はテレワーク、買い物はネット通販だけ、娯楽は動画配信サービスで動画を見るだけ。家から一歩も出ない。一方で、そういう生活を支える人たちは、大手ネット通販業者の倉庫で低賃金で働いて、キャッシュレスやらネット通販やらテレビ電話なんて使えないような中でただ生命維持のためだけに生きる」そういう生活を理想としている。そんな絵が見えた。もう完全なるディストピア。ネット通販使って家から一歩も出なくていい生活を送る階層にいても、生命維持のためだけに仕事するような階層にいても、どっちに入ってもこんな世界で生きていたくないなと感じた。もっとも、そういう社会が持続可能なのかは疑わしいが。ネット通販企業の倉庫で低賃金で働く労働者をどこから「調達」してくるのか、長期的な「調達可能性」が疑わしい。「調達」とはあえて使った。そういうディストピアにおいては人間は「調達」されるものにすぎないだろう。あ、これは鶴見済の本をそろそろ読んで実践する準備もしたほうがいいかなと、まあそのくらいのことは考えた。

 しかし、である。別の見方もできる。昨年末から今年の正月にかけて、NHKスペシャルで東京をテーマにした特集をいくつか放映していた。「パラレル東京」や「東京リボーン」など。それらの番組を見ていてわたしは感じた。東京というのはあまりにも巨大になりすぎて、もはや人間の手で制御できなくなってしまいつつあるのではないかと。

 最初にそれを感じたのは、「パラレル東京」。最新技術の粋を集めたタワーマンションから出火する映像を見たとき。次にそれを感じたのは、「東京リボーン第3集  輸送革命 果てなき欲望との闘い」を見た時。コンビニのおにぎりのシャケはチリで養殖されて、タイに輸送されて、タイの工場で加工されて、東京にやってくるとか。こんな巨大システム人間の手に負えないよと直感的に感じた。

 東京にはとにかくたくさんの人たちが集まっている。たくさんの人たちが集まっている裏では高度な技術をふんだんに使った巨大システムが動いている。その巨大システムに何かがあった時にはとんでもないことになるんじゃないか。そう考えてみると、東京ってのは人間の傲慢を形にしたバベルの塔に見えてくる。

 傲慢にもバベルの塔のごとき巨大システムをこのまま使い続けられるとたいていの人は考えているが、そりゃ無理な話だ。いつかは壊れる。例えば30年以内に70%の確率で起こると言われている首都直下地震で。

 人間が万物の長、自然なんて自由に操れるなんて考える傲慢はやめましょう、と読めば、わたしは素直に賛同する限り。往々にして、巨大システムってのは、非人間的なふるまいをする。たくさんの人間をパーツとして扱わないと回らないから当然のことなんだけど。であるから、巨大システム依存をやめたほうがいいんじゃないか、とわたしは考える。

 そして、巨大システムを使うのをやめようよ、中規模のシステムを回していこうよ、という視点に立って、生活を見直すとすると、これはこれで住みやすい社会になるのではないか。例えば、Amazonではなくて地元の中小書店で本を買うとか。これに限らず、チェーン店ではなく地元の個人経営の店舗をひいきにするとか。テレワークとか必要になるのは、何よりも大きな会社だから。職住近接の個人経営の店舗にテレワークは必要ない。そんなものしなくても「密」にはならない。巨大なシステムを回そうとするから「密」が生まれる。テレワークに切り替えたところで、それを支えているインターネットそのものが人間の手に負えるのかどうかすらわからない巨大システムであることを考えよう。

 地元の個人経営の店舗で買うのは社会的にどういうことを意味しているのか、次のツイートが端的に表している。

 巨大システムのコマとして、低賃金で働かされていた人たちが、商店主としてそれなりの生活ができるように。1990年代に入ったあたりまでは当たり前だった社会の形。

 そして、そのような生活の見直しのひとつが、東京という超巨大システムの縮小になる。東京に司令塔がある巨大システムではなく、各地域で分散してシステムを回していく。わたしには魅力的なものに見える。少なくとも、冒頭で書いたような、「仕事はテレワーク、買い物はネット通販だけ、娯楽は動画配信サービスで動画を見るだけ。家から一歩も出ない。一方で、そういう生活を支える人たちは、大手ネット通販業者の倉庫で低賃金で働いて、キャッシュレスやらネット通販やらテレビ電話なんて使えないような中でただ生命維持のためだけに生きる」ような社会よりは。