ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

カツ丼をワンコインで食べられる「便利」の代わりに失ったもの

なにぶんにもわたしが小学生の頃のことだから、うろ覚えの話になって恐縮するばかりだが、思い出話から。

わたしが子どものころ、そう、1990年代に入ってすぐのころ。家の電話のそばには、電話帳とともに近所のそば店やすし店などのメニューがぶら下がっていた。当時、「出前」と呼んでいた(今もそう呼ぶ人はいるだろうが)デリバリーを頼むときに、メニューから選んで、電話で注文していた。当時、そば店でカツ丼の価格はだいたい600円か700円かした。

そのころのそば店もすし店も、個人経営のお店で、家族で切り盛りしていた。

ハンバーガー」も、これまた個人経営のサンドイッチ店で買うものだった。マクドナルドなんて近所になかった。

「古本屋」ももちろん個人経営の小さなお店で、ブックオフなんて存在すら知らなかった。

チェーン店ってのは当時もあったのかもしれないけれど、わたしの生活にはチェーン店ってのは存在していなかった。

それから、わたしが思春期を迎えて、不登校からひきこもりにそのままずるずるなだれ込んだ、その間のことはわからないから省略。

チェーン店ってのがわたしの生活に存在し始めたのは、ひきこもり状態から少しずつ外に出るようになってからのこと。そのころには、外で昼食を食べるのに便利なチェーン店ってのが各種充実していた。カツ丼を500円足らずで食べられたのは大変助かったものだ。いつのまにか、個人経営で、カツ丼を一食600円とか700円で「出前」してくれたそば店の存在がわたしの中から消えてしまってた。お店そのものも廃業していて、カツ丼を食べるならチェーン店一択になってしまっていた。ゼロ年代後半のこと、あの頃、「出前」を取っていたそば店やすし店、「ハンバーガー」を買いに行ったサンドイッチ店はどこに消えてしまったのだろう。

500円足らずでカツ丼を食べることができるようになった「便利」と引き換えに、個人経営のお店を廃業に追い込み、チェーン店しかない街を作ってしまっていた。

それってつまり、これまでならそれなりの生活ができたそば店の経営者という仕事を奪い、その代わりに最低賃金すれすれで働く「店舗スタッフ」に置き換えたってこと。何の気なしにチェーン店に入れば、どこでも若い店員さんが出てきて接客してくれる。その若い店員さんたちは、どこからきてどこに行くのだろう。

昨日も書いたけれど、こういうのも、ローカルでそんなに大きくなく回っていたシステム(個人経営のお店)が、巨大システム(全国チェーン)に置き換えられたとも書ける。巨大システムがもたらしてくれる「便利」はとても魅力的だ。だけど、その「便利」と引き換えに、わたしは巨大システムのパーツとして生きることも選んでいた。若い店員さんだって、巨大システムの中では「パーツ」に過ぎないので、モノと同じように扱われがちになる。「パーツ」の一つ一つが「正常通りに動作」しなければ、システム全体がおかしくなるので、当然のことながら「パーツ」である人間にもかなり無理をさせることになる。そんな巨大システムは、いつまで回り続けられるのだろう。そんなことを考えた時に、とても恐ろしくなってしまった。

そうは言っても、カツ丼を500円足らずで食べられる「便利」は捨てられないし、その捨てられない理由ってのはつまり賃金がそんなに高くないからで、賃金が高くないのもカツ丼を500円足らずで提供しているからなんだけど。この悪循環をどこから断ち切ればいいのか、わたしにはわからない。

すっかり焼け野原になってしまった個人経営の飲食店が、いまさら復活できるとも考えにくいし。

とりあえず、「ホテル・カリフォルニア」でも聴いて考えることにしようか。

https://www.youtube.com/watch?v=EqPtz5qN7HM

昨日書いたnote。よろしければどうぞ。そうは見えないでしょうけど、昨日書いたnoteの余談がこのnote。

https://note.com/syou_hirahira/n/n4df4217549d8