ふらふら、ふらふら

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「俺を殺す正しさを解くのは良いけどせめて殺す自覚はしてよと泣きたくなるのはわかる」

 この記事には追記があるので、この記事が読み終わった後に追記もぜひお読みください。追記は下の記事です。(2021年1月16日)

syou-hirahira.hatenablog.com

  タイトルは、ある記事につけられたはてなブックマークコメントである。今は消えてしまったので、大元をたどることはできないが。

  昨年末から今年の初めにかけて、どうしても引っかかるFacebookの投稿がある。在宅医療を専門にやっているクリニックを運営する医療法人悠翔会の理事長を務める医師・佐々木淳さんの投稿。次の二つの投稿が引っかかっている。

 

 

 

 

 特に二つ目の投稿。佐々木淳さんが、「うーん、とりあえず現在の状況は、誰にも公平に訪れているわけですよね。既存の選択肢の存在感が下がったからこそ、見えてくる世界がある、という考え方もあるのではないでしょうか」とのコメントをしている。ちょ、ちょっと待ってよ。飲食店に見切りをつけて医療介護分野に転業すればいい、この中で経営破綻するのは経営の才覚がないからだと「自己責任論」を振りかざす佐々木淳さんにはついていけないものを感じた。

 

「被告国のかかる公益目的実現のための行為によつて、各被害児の両親は、各被害児に本件各接種を受けさせることを法律によつて強制されあるいは心理的に強制された状況下におかれ、その結果、前記認定のとおり各被害児は本件各接種を受け、そのため死亡しあるいは重篤な後遣障害を有するに至つたものであり、このことにより、各被害児及びその両親は、後記認定のとおり予防接種に通常随判して発生する精神的身体的苦痛を超え、それらを著しく逸脱した犠牲を強いられる結果となつた。そのことは、本件各被害児およびその両親にとつて、予防接種により当然受忍すべき不利益の限度を著しく逸脱した特別の犠牲を余儀なくされたものということができる。」

「他方、本件における各被害児及びその両親の蒙つた特別犠牲に対し、その余の一般的国民は、予防接種の結果、幸にして、各被害児らのような不幸な結果を招来することなく、また各予防接種によつて伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防され、よつて、予防接種法が目的としている国民一般の公衆衛生の向上及び増進による社会的利益を享受しているのである。」

「右の状況下において、各被害児らは、被告国が、国全体の防疫行政の一環として予防接種を実行し、それを更に地方公共団体に実施させ、右公共団体の勧奨によつて実行された予防接種により、接種を受けた者として、全く予測できない、しかしながら予防接種には不可避的に発生する副反応により、死亡その他重篤な身体障害を招来し、その結果、全く通常では考えられない特別の犠牲を強いられたのである。このようにして、一般社会を伝染病から集団的に防衛するためになされた予防接種により、その生命、身体について特別の犠牲を強いられた各被害児及びその両親に対し、右犠牲による損失を、これら個人の者のみ負担に帰せしめてしまうことは、生命・自由・幸福追求権を規定する憲法13条、法の下の平等と差別の禁止を規定する同14条1項、更には、国民の生存権を保障する旨を規定する同25条のそれらの法の精神に反するということができ、そのような事態を等閑視することは到底許されるものではなく、かゝる損失は、本件各被害児らの特別犠牲によつて、一方では利益を受けている国民全体、即ちそれを代表する被告国が負担すべきものと解するのが相当である。」

―昭和59年5月18日、東京地方裁判所判決

 

 わたしは、ここで使われたロジックが、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき「自粛」を求められた事業者についてもそっくり当てはまると考える。少なくとも、「自粛」をした結果の経営破綻は市場経済の当然の顛末だとする、佐々木淳さんの見解よりは遥かに説得力を持っていると考える。そこでこの記事のタイトル、「俺を殺す正しさを解くのは良いけどせめて殺す自覚はしてよと泣きたくなるのはわかる」である。

 

 といっても、すべてを補償しきることなど到底できやしないのはわかっている。しかし、事業を畳むことになった事業者の犠牲の下にわたしたちが感染症から守られたこと、言い換えれば、わたしたちのために事業者が特別の犠牲を払ったこと、その特別の犠牲を事業者の責任に帰するのは法の下の平等に反すること、このことは宣言してしかるべきではないか。

 

 そのうえで、まずは激変緩和措置や転業推進によって最大限の救済を図る。人間は「テトリス」ではないのだから、昨日まで飲食店をやっていた人の100%が教育訓練を受ければ介護職になれるなんてことはないのである。それはしょうがないことなのである。決して自己責任ではなく、わたしたちのために犠牲を払ってくれた人たちなのだ。

 最後は生活保護によって救済を図るほかない。すでに書いたようにそうそう簡単に転業できるはずはない。転業に失敗する人は不可避的に出る。そのような人たちの生活を、生活保護によってしっかり支えていくのは当然ではなかろうか。

 過去の事例では、旧産炭地だった地域を管轄する福岡県田川福祉事務所で200‰を超える保護率を記録したことがある。さすがにここまでは行かないだろう(と信じたい)が。しかし、飲食店を経営していた人たちの犠牲によって命永らえたわたしたちは、ここまでの事態は覚悟しておかなければならない。それがせめてもの誠意ではなかろうか。