ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「俺を殺す正しさを解くのは良いけどせめて殺す自覚はしてよと泣きたくなるのはわかる」―追記

 少し前に、佐々木淳さんの意見を批判的に取り上げた。そのことについては下の記事を読んでほしい。この記事は、下の記事のいわば「続き」だ。

 

 

 その後、いろいろ考えてたが、佐々木淳さんの考えてることとわたしの考えてることが、大枠では異なってなさそうだとの見解に達した。どうして?と聞かれれば、アマルティア・セン「不平等の再検討―潜在能力と自由」(池本幸生、野上裕生、佐藤仁訳・岩波現代文庫)の次のような記述を思い出したからだ。

 

実力に応じて公職を担う人や影響力のある地位に就く人を選ぶ利点は、究極的にはそうしたシステムの効率性にある。

事実、仮に非効率性や諸々の利点一般の喪失なしに影響力のある公職や地位の平等を達成できるなら、それを選択するのは正義に適っているし、私もその選択を支持するであろう。上のケースでわれわれが不平等を受け入れるのは、まさにこのような仮定的な状況に現実に達することは不可能であるという理由による。

このケースにおいて潜在能力の不平等を正当化する議論は、その不平等を除去してしまうと多くの人々の潜在能力を相当引き下げることになり、それは不効率であるだけでなく、受け入れがたいものである、という形をとる。

 

 と、アマルティア・センさんは書いている。これを、わたしは、こう解釈した。社会全体の厚生を引き上げるために必要ならば、不平等も受け入れる。と。具体例を出そう。上に挙げた記事で取り上げた佐々木淳さんのFacebook投稿より。

 

 

 コメント欄で、この時期に就職活動をしなければならない人が大きな不利を受けるのではないか、とりわけ航空など人気業界の常連だった企業を志望する人はという要旨のコメントがあった。それに対して佐々木淳さんは、要旨、これまでの選択肢が正しかった保証はないし、今までの選択肢の存在感が下がったからこそ見えてくる世界もある。社会に本当に必要とされているもの、そうでないものがコロナ禍でみえてきた。それを見て選択できるのはポジティブな材料だと語っていた。先ほどのアマルティア・センさんの議論を見たわたしは、この佐々木淳さんの見解に大筋で同意する。

 というのも、気候危機の中、航空業界にはこれからどうしても縮小してもらわなければならない。今までのように鉄道でも移動できるところにどんどん飛行機を飛ばしてCO2を排出するわけにはいかないからだ。ここで、社会全体の厚生という観点が出てくる。アマルティア・センさんが言うところの社会全体の効率性を考えると、航空業界が不平等な扱いを受けることになるのはやむを得ない、と言える。そう考えると、佐々木淳さんの見解とわたしの見解は大筋では一致する。

 

 たとえば、オックスフォード大学は、下のようなリリースを出している。環境に配慮した復興が経済成長を促進する、と。

 

 

 このような記事を見ていると、なおさらに、航空業界が縮小するのはやむを得ないことである、航空業界が縮小する過程で、そこで働いている人、または働こうと志していた人が不平等を甘受しなければならないのもしょうがないことであると考える。

 

 ただし、大筋では一致していても、細かな部分では一致しない部分があるのも付け加えておく。一致しない部分の中でもっとも重要度が高いのは、市場で優位に立つもの=社会で必要とされるもの、との等式を佐々木淳さんは立てているが、わたしは市場で優位に立つもの≒社会で必要とされるもの、程度の考え。市場で優位に立っているものが、社会全体の厚生を上げるとは限らない。

 具体例。ここでも航空を例に出す。東京から札幌の間の移動は、航空機が圧倒的に優位だった。しかし、気候危機の中で、航空機が優位なのは、むしろ社会全体の厚生を損なう。鉄道での移動のほうが気候に与える影響も少なく、社会全体の厚生をより損なわない選択肢だ。ここでは、市場で優位にたつものが社会で必要とされるもの、との等式は成り立たない。

 もう一点。パンデミックの社会的喧騒の中における条件の中で有利なものが、必ずしもこれからの社会にとって良いものとは限らない。街の小さな飲食店が軒並み潰れ、そこで働いていた人がAmazonの倉庫で時給1,000円で働くようになるのは、パンデミック下では合理的だが、長期的に合理的かは大いなる疑問。その点について、佐々木淳さんが「コロナ禍で、本当に社会から必要とされているものとそうでないもの、社員を大切に思っている会社とそうでない会社、そして私たちのニーズの本質が明確になった」としているのは早合点している。パンデミックがこれからどう動くかを正確に予想できる人はいないのだから、判断は保留する、くらいが誠実な態度。気候危機は、パンデミックに関係なくずっと続いていた大きな流れなので、気候危機に対応するのは合理的と言えるが。

 

 とはいえ、パンデミックがなくても大規模な産業構造の変革が必要だったにせよ、それに対する激変緩和措置が必要で、中には激変についていけない人が出るのはどうしようもないこと。そういう人たちを放置しても、社会全体の厚生は上がらないのであるから、健康で文化的な最低限度の生活は保障しなければならない。