ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

平等なき #うちで過ごそう ムーブメント

 ここのところ、豊かな人たちに辛辣なことを書いてきた。富裕層を敵視しているなどと言われることもあった。その真意を自分でも整理しない生煮えのまま辛辣なことを書いたものだから、他人に伝わらないのも当然。で、わたしが何を言いたかったのかは、タイトルの通り。

「#うちで過ごそう」ムーブメントが、平等という価値に一切目もくれないこと。

新型コロナウイルス感染症対策専門家有志の会の記事

note.stopcovid19.jp


には、こうある。

また、人と会う機会を8割減らすことを心がけてください。例えば、人と会う時は、屋内で会う人を10人から2人にしていただきたいのです。
外出は、散歩、ジョギング、食料品の買い出し、通院、行く必要のある仕事程度にとどめてください。

 あ、この人たち、自宅に浴室もない人たちがいることを完全に見てないな、と思った。皆が均一に人と会う機会を8割減らすなんてやったら、一番しわ寄せ来るのは自宅に浴室もない低所得者。今では少なくなったとはいえ、確実にいる。東京都内で生活保護を利用する単身者のおよそ2割は、自宅に浴室がない。そういう人たちのことを考えると、自宅に浴室がある人たちはもう少し強めに制限をかけて、逆に自宅に浴室がない人たちはもう少し弱めにする、という配慮が必要。

 また、自宅が危険な人たちもいる。子ども虐待やドメスティックバイオレンスの被害者など。一般社団法人Colaboは、自宅が危険な10代女性のための活動をしているが、東京都から自粛を求められるかもしれないと代表の仁藤夢乃さんが書いていた。おいおい、ちょっと待ってよ。自粛するべきは違うところでしょう。

 在宅医療の専門医、佐々木淳先生は、4月8日のFacebookに「買い物もできればオンラインで、オンラインで買えないものは週2回程度に絞って、周りの人との距離を確実に取る」と書いていた。おいおい、便利で快適なネット通販を支えるために働いている人がいるんですよ。それなのに、オンラインでなら何買ってもいいの?と言いたくなる。アロマオイルや造花を送るために、Amazonで働く人たちを死の危険に晒していいんですか?という話。

www.huffingtonpost.jp


 3例とも、平等という価値を無視している。そりゃ、豊かな人たちはいいでしょうよ。自宅で入浴できるし、暴力の危険にも晒されないし、何なら造花とか買っちゃったりできる。ただ、世の中、そういう人たちだけではない。

 残念ながら、社会全体のリソースは極めて限られたものになってしまった。社会全体のリソースが無尽蔵だったことなんてなかったんだけど。その限られたリソースをどこに分配するかが重要になる。

 今のところ、豊かな人たちにより多く分配するという方針を取っている。そんな馬鹿なと言う方に、説明しよう。いくつもの業種が休業要請を受けた。現実に休業している。だが、ろくに補償もない。一方、休業要請など受けることもなく、普段通りに収入を得られる業種もある。家主業とか。「新型コロナウイルス対策」の影響は、明らかに不平等にもたらされている。このご時世に、まだ造花とかアロマオイルとか買ってられる人たちがいる横で、今日雨風をしのぐ場所さえ危うい人たちがいる。歴然とした事実だ。限られたリソースを不平等に分配すると、こんなことになる。そして、この不平等を正当化できる理由はどこにもない。

 政府は、補償などするつもりがないと明言した。不平等を放置するつもりなのだろう。であるから、今後も、低所得者の最低限の住宅より、金持ちがアロマオイルとか造花の方が優先され続ける。どれだけ言いつくろっても、とどのつまりはこういうこと。

 政府が補償をするってのは、高所得者がアロマオイルとか造花を買うお金を税金として徴収して、低所得者が最低限の住宅にアクセスできるようにするってこと。平等を実現するためには必要なこと。

 「生きているだけでも幸せだと思って」なんて言葉をいくら発せられたとしても、自宅に浴室もない人たち、あるいは自宅さえなくなりそうな人たちには虚しく響くばかり。

 もっと平等ってのを考えたほうがいいと思うんですけどね。今のままだと、金持ちが金持ちのために低所得者を犠牲にして生き残るための新型コロナウイルス対策と言われても仕方ないと思うんですが。

 そして、COVID-19のパンデミックを生き延びた金持ちは、貧乏人を踏み台にして生き残ったことになる。その手は血にまみれることになる。

 自分の手を血にまみれさせたくなければ、何よりも政府に補償しろと声を上げること。あるいは、自分がアロマオイルとか造花とか買おうと思っていたお金を寄付に回すこと。そうやって、平等を実現しなければならない。それこそ、「生きているだけでも幸せだと思って」、アロマオイルとか造花とか買うのをやめましょう、そして豊かでない人たちを支えるために寄付しましょう。

 「#うちで過ごそう」ムーブメントが盛り上がってはいるけど、ネット環境があってそれなりに豊かな人たちの娯楽にしか思えずしらけてしまうのは、このムーブメントが平等を徹底的に無視しているからだ。

 それにしても、政府の当初の対策も、ずいぶん不平等だった。実際に対面することが重要な居場所活動が真っ先に止まって、オンラインでもどうとでもなる企業活動は最後まで止めなかった。そのツケはすべての市民が払わされる。それも、弱者ほど負担が重くなる。

 なぜ、政府は企業活動を真っ先に止めなかったのだろう。補償するなりオンライン化するなり、方法はいくらでもあっただろうに。

 わたしは、今の政権を構成している与党を、永久に許さない。金輪際、今の与党には投票しない。そのことだけは宣言する。

【追記】

朝日新聞デジタル「少女は泣いて母の霊柩車追った 作家がつづる武漢の日常」*1

にて引用されていた、武漢の作家・方方さんの日記の次の一節が特に胸に迫った。

一つの国が文明国家であるかどうかの尺度は、高層ビルや車の多さや、強大な武器や軍隊や、科学技術の発達や卓越した芸術や、派手な会議や絢爛(けんらん)な花火や、世界各地で豪遊する旅行客の数ではない。唯一の尺度は、弱者にどう接するか、その態度だ。

「うちで過ごそう」と呼びかけている人たちが、弱者のことをどこまで気にかけているのか、とても不安。また、ローマ教皇フランシスコは、次のように悲痛なまでの黙想を発表している。

あなたがわたしたちよりもずっと深く愛しておられるこの世界で、わたしたちは目まぐるしい速さで突き進み、自分が強力で何でもできると思い込んでいました。利益を貪欲に求め、物事に没頭し、あわてふためき混乱していました。あなたの呼び声を聞いても立ち止まらず、戦争や地球規模の不正義を前にしても目を覚まさず、貧しい人の叫び声にも、ひどく痛めつけられている地球の声にも耳を傾けませんでした。わたしたちは病んだ世界でつねに健やかに生活する方法をあくまでも考え続けてきました。
カトリック中央協議会訳)*2

 こちらも胸に迫るものがある。どれだけの人が、今まで、平等という大切なものを無視してきただろう。わたしだって例外ではない。

 このパンデミックは間違いなく人災で、とはいえ生物兵器の開発に失敗したとかそんな荒唐無稽な陰謀論を述べるつもりはなく、不用意に乱開発した結果、どこかでウイルスとヒトが接触してしまった結果だと思っている。ここ20年、ヒトに重篤な病気を引き起こすコロナウイルスの噴出が相次いでいる。SARS、MERS、そしてCOVID-19。わずか20年の間に3つの新型コロナウイルスが出てきた。そろそろ、乱開発をやめなければならない。地球規模で資源を平等に分配しなければならない。これまでさんざん言われてきた、もう耳にタコができるようなことをここでも書く。

 去年夏だったか、秋だったか。どのラジオ番組か忘れたが、21世紀に最も多くのヒトを死なせる原因は自然災害と予想されていると聞いた。気候変動の結果、自然災害がより激烈になるためだという。今から対策して、その結果が出るのはわたしたちの孫の代だという。そんなことが、ふと思い出された。

 そんなことを考えながら、ローマ教皇フランシスコの黙想に耳を傾けると、カトリックという宗派を超えた普遍的なメッセージが聞こえてくる。もちろん、科学は重要な武器だ。科学を否定するつもりはない。神が何かしてくれるとも考えてはいない。だが、いくつもの宗教が共有する、人間的な価値観には、わたしたちが従うべき倫理が表されている。この記事ではローマ教皇の黙想を紹介したが、おそらく他の宗派も同じような人間的な価値観を持っていることであろう。その中には、平等や連帯という価値も含まれている。

【追記2】

つまりね、今の「#うちで過ごそう」ムーブメントって、こういう人が、安全圏から起こしているだけにしか見えないのですわ。だからどうしてもカチンと来るのですね。

 BBCはもっとはっきり言ってくれている。

www.bbc.com