ふらふら、ふらふら

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学校の隠れた機能・「あそび」「居場所」

 この記事にはてブしようとしたが、どうしても文字数が100字に収まらなかったのでこっちで書く。

kieth-out.hatenablog.jp 別の角度からコメントする。夏木智さんが、「誰が教育を殺したか」(日本評論社、2006年)で「あそび」「居場所」と呼んだような機能の少なくとも一部が「特別活動」と名づけられている活動。夏木智さんが同書で指摘しているが、学校が提供する「あそび」「居場所」は、子どもや若者にとってことのほか重要になっている。行政官が考える以上に。決して軽視してはならない機能で、すべての子ども・若者にとって必要不可欠な機能だ。今回紹介した記事の筆者の読み通りに削減されるとしたら、子ども・若者にとってとても悪い影響を及ぼす。子どもや若者の精神的健康が害される可能性すらある。少なくとも今は、削減できる状況ではない。

 理路は違えど*1、この記事の筆者が述べる、特別活動を削減してはならないとの結論には賛同するものである。

 もっとも、将来的には、リソースが乏しい学校から「あそび」「居場所」機能を「社会」に移す方向性はありだ。「あそび」「居場所」は、すべての子ども・若者にとって必要不可欠で、等しく提供されなければならない。「あそび」「居場所」を提供するのが学校のみである状況は、とりわけ後期中等教育段階で、学力によってどのような「あそび」「居場所」が提供されるかが大きく変わる。場合によっては「あそび」「居場所」が提供されないことさえもありうる。そのことを勘案すると、学校ではなく「社会」が「あそび」「居場所」を無差別平等に提供していくことが望ましい。

参考文献

「誰が教育を殺したか」(夏木智著、日本評論社、2006年)

*1:もっとも、夏木智さんが「あそび」「居場所」を重要と述べる理由と、今回紹介した記事の筆者が特別活動を重要と考える理由は、別の角度から同じものを示している可能性は少なくないが