ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

医療に絶対はないけれど

 わたしは、何度も「患者家族」として、重大な治療の前に行われる説明の場に立ち会った。説明する医師は、こういうことも考えられる、こういうことも考えられる、と、考えられるリスクを説明していく。一方で、治療が必ず成功する保証がないことの説明も、毎度のように受ける。あるとき、ある医師が説明の場で言った。「医療に絶対はない」と。全知全能の神ではない不完全な人間がやるのだから、絶対なんてのはない。

 リスクをゼロにすることはできない。気にし出せばきりがない。どこかで、「ああ、この程度のリスクならまあいいか」と割り切らないと、どんな医療も怖くて受けられなくなってしまう。たぶん、わたしはそうやって割り切るのに少しだけ慣れている。

 リスクを割り切るのに「慣れている」からだろうか。COVID-19のワクチン接種もわたしは当然積極的に受けたい。メディアはワクチンのリスクを煽り立てる。リスクを報じるのは必要だが、まあこの程度のリスクならあまり考えなくていいんじゃないでしょうかと説明するのも必要じゃないかなあ。医療を受けるときはみんなそうやって割り切っている(はず)なんだから。

 絶対ありえないゼロリスクを医療に求めることは、ときどき人権侵害をもたらすこともある。たとえば下の記事の指摘。

www.poettoukazuko.com

 ここから引用。

 ところで、統合を進める場合、真先に問題になるのはハンセン病の伝染性である。「ハンセン病の伝染性は極めて弱いものです」という説明では、人々は決して納得しない。それは、一般の人々が『万一』を恐れ、対策に「万全」を求めるからである。かつて、「ハンセン病ほど悲惨な病気はない。こんな病気に罹る人は一人も無くさなければならない。」と絶対隔離論者が言い、今また、「万に一つにも伝染の恐れのない無菌者は一般病院に受入れるべきだ」とハンセン病の“理解者”が主張する。この二つの主張は、共に実現不可能な『万全』をハンセン病対策にだけ要求する点で驚くほど良く似ている。これこそ偏見である。
 私の試算では、日本の全ての患者’が社会復帰したとしても、国民がハンセン病に罹患する危険は数百万分の一増加するに過ぎず、事実上ゼロに等しい。このことは、わが国においては、ハンセン病は最早や伝染病ではなくなり、らい予防法もまた、存在の根拠がなくなったことを意味している。

 「万全」を医療に求めた結果がらい予防法。そのらい予防法が悲惨な人権侵害を生んだのはもはや説明するまでもない。ゼロリスクを求めることが有害であることを示す一例。

 医療に絶対はない。何を選んだってリスクとベネフィットはある。だから当然迷う。メディアから情報を受け取ってなおさら迷う。結論として、信頼できるお医者さんに相談しよう、となる。わたしも「患者家族」として迷った体験は一度ならずともある。最後は信頼できるお医者さんの説明に励まされてきた。そういうものじゃなかろうか。