ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

スクール水着姿になるように命じることの権力性、あるいは暴力性

 発端は下の記事。

kite-cafe.hatenablog.com

おそらく男子による女子の品定めの場になるだろう男女共修水泳授業

 男女共修の水泳授業。女子に抵抗感があるのは当たり前で、男子に身体を品定めされる場になるのが目に見えている。

 男子による女子の品定めは、たとえば「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ著、文藝春秋〈文春文庫〉、2021年)にこんなように描写されている。

およそどの中学校でも(おそらく世界中の中学校で)、男子は女子に隠れて「イイのはだれかを選ぶ投票」を密かにおこなう。それは情け容赦のない残酷な判定である。数学テストでいうなら部分点はいっさい与えない。ひたすら外見だけの判定だ。

 秘密裏におこなえたと男子は思っているが、実は女子は知っている。男女共学と別学の最たる差は、「よそいき」のシーンではない、ごくごく日常で、この残酷に晒されるか否か、この残酷を肌で知るか否かである。

 とまあ、学校では実に残酷に女子の品定めを行う。体形の露出が多い水着姿になれば、その品定めもより残酷になる。そりゃあ、女子にとっては嫌に決まっている。あたりまえのことではないか。しかし、冒頭の記事の筆者はこのことが気に入らない。水着姿になることの羞恥心よりも水泳を習得することのほうが重要だとの価値判断をしている。そのような価値判断の背景は立場の影響がある。すなわち、高齢男性で、教員である(あった)との立場だ。少なくともぶしつけに男子に身体を品定めされる立場ではない。ぶしつけに品定めされる立場であったらどのような価値判断をしただろうか。羞恥心を抱くには抱くだけの理由があり、これは人格と尊厳にかかわる問題だ。たんなる「わがまま」ではない。

 そのような現状を打開するのが、男女共用セパレート水着であるが、この水着でさえも件の筆者氏は気に食わない。

あいつの紅茶を飲んだのならばオレの紅茶も飲めよーそして教師の行為は専横と偽善に堕した

 冒頭にリンクした記事の筆者氏は、このように述べる。

《恥ずかしい恥ずかしいというけど、だったら今後いっさい体の線が見えるような水着は着ないのか? 数年たって友だちと湘南海岸だの沖縄だの、はたまたハワイだのグアムだのに出かけたとき、オマエ一人があのジェンダーレス水着で参加するのか? いやそもそも今年の夏、家族で一緒に出掛けるニースやモルディブはやっぱりあれなのか?》
 そういう不信感があるのです。
 一言でいえば、
《学校や教師をあれこれ煩わせておきながら、3年後はビキニというのは許さんぞ》
という気持ちです。

 このように述べる筆者に徹底的に欠けているのは、「性的同意」の認識だ。イギリスのテムズバレー警察署が2015年に公開した動画がわかりやすい。日本語では下のような記事がある。

www.huffingtonpost.jp

 動画本体はこちら。

www.youtube.com

 どこで誰に身体を晒すのかは、身体の持ち主である本人が決めること。湘南海岸や沖縄で紅茶を飲んだからって、学校で紅茶を飲まなければならない義務はない。当たり前のことだ。

 ところが、どうやら、学校ではその道理が通用しない。生徒に自己決定権なんてとんでもないことだとの通念がある。教育活動に問題のなさそうな男女共用セパレーツ水着を選択することさえ、先に紹介したような因縁がつけられる。生徒が何か権利を主張することが面白くなくて面白くなくてたまらない。生徒を徹底的に支配しないと気が済まない。このような教師の振る舞いはまさにほしいままに権力を振りかざす偽善・専横そのものだが、そのような偽善・専横が横行する中で、下のサイトに列挙されているような事件が起きた。学校の体育的活動における熱中症などは体罰とは文脈が違うのではないかと考えていたが、「体育教師をブッとばせ! : 場外乱闘ハチャメチャ教師論」(岡崎勝・土井峻介・山本鉄幹共著、風媒社、1986年)を呼んで考え直した。教師が、権力を振りかざして、無茶なしごきをする結果、全国でコピペのような学校事故が発生する。学校事故もまた、教員の権力性がもたらした事件だ。

www.jca.apc.org こうして、教師の行為は、単なる「専横と偽善」に堕した。そんな教師のふるまいが不信の目で見られるのは「当然」。教師の行為がこどものためになると信頼できるほど過去の歴史は幸福なものではなかった。

 もっとも、こどもを「保護」すると称する大人のふるまいが専横と偽善に堕したのは日本の学校だけの現象ではないようで、そのような現実があって児童の権利に関する条約が作成されたと「未成年者保護法と現代社会―保護と自律のあいだ」(森田明著、有斐閣、1999年)は指摘している。

余談

 夏になると、各学校ともプールには視線を遮るためのすだれなどが設置される。変質者にプールを覗かれないようにするためだ。不用意に生徒の身体を晒してはならないことはわかっているはずなのに、なぜ湘南海岸でビキニになるんだったら学校でもスクール水着を着ろと言ってしまうのだろうか。

 どうせ湘南海岸でビキニになるんだから学校でスクール水着になってもいいだろとの理屈は、学校で水泳授業を受けている生徒を覗いてもいいよね、どうせ湘南海岸でビキニになるんだからだとか、水泳授業を受けている生徒を覗いていいなら学校の行き帰りの生徒をスマホで勝手に撮影してもいいよねだとか、どんどんエスカレートしていく。