ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「校則」は、「優生保護法」との向き合い方を決して教えてはくれない

 「校則」を正当とする論者は、「校則が細かすぎる」との批判に対して、「日本の法体系も膨大であるが、そんな膨大な法体系があって困るというのは法律に逆らいたいものだけだ」と、「法律に逆らう」ことを直ちに悪とする、実に単純な議論がなされている。

 よろしい。わたしが中学校に入学した年の「六法全書」をめくってみよう(平成8年版、有斐閣)。3233ページに「優生保護法」がある。優生保護法には、障害者の「強制不妊手術」(法文上は「優生手術」)を認める条項があった(第四条~第十三条)。

 それら強制不妊手術を認める条文の中には、「精神病者」は、医師が必要と認め、保護者の同意と都道府県優生保護審査会の決定があれば、本人の意思にかかわりなく強制不妊手術を行うことができるとする規定もあった。わたしの発病は、主治医の診断によると、中学校に入学するかしないかくらいのころだったらしいので、わたしは、紛れもなく、「優生手術」の対象者になりえた。

 「校則」をめぐる粗雑な議論によれば、中学生になったばかりのわたしが強制不妊手術を受けないことは、「法律に逆らう不届き者」となる。そんなバカな。*1「校則」は、「強制不妊手術」の不当性を決して教えない。おそらく、学校のカリキュラム全体を見渡しても、「強制不妊手術」が不当であることは教えられなかったであろう。そんな程度の低い、はっきり言って人権なんか無視した議論が、学校ではまかり通っている。

【追記】

 下のWebページを見て、わたしはこの記事を執筆した。何が何でも水泳をすべての生徒に履修させることが「正しい」と思っている様子だが、1989年改訂中学校学習指導要領では、2年生・3年生については水泳は選択履修であった。そのころの教師たちが、学習指導要領を完全に順守していたとの話は聞かない。そもそも、水着になって自らのプライバシーを晒すことを嫌がることの何が悪いのか。プライバシーを晒さなくても参加できる工夫をしないまま、羞恥心を押しつぶすのは暴力と何が違うのか。今年になってようやく体形が出にくいジェンダーレス水着が本格発売されたが、もっと早く開発されていなければならなかった。

www5a.biglobe.ne.jp

*1:なお、1998年に採択され、2007年に日本も締約国になった国際刑事裁判所に関するローマ規程は、このような強制不妊手術を「人道に対する罪」として国際法上の犯罪としている