ふらふら、ふらふら

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「車社会化」は住民が選んだことではないか

 「地方は公共交通が不便だから車を使わなければ生活できない」とはよく言われる。とはいえ、「地方=公共交通がない」との図式が成り立つのをまるで自然現象かのように語るのには異を唱えたい。

 地方といえど、都市部もあれば農村部もある。農村部で公共交通の経営が成り立たないのは、人口密度が低いのだから当然のことで、農村部で車の必要性を主張するのは理解できる。

 問題は地方都市。人口で言えば人口が15万人を超えるような都市での話。この規模の都市だと、それなりの市街地が形成されている。ところが、低廉な地価を求めて、自動車利用を前提に郊外部に居住する住民が増えた。

 市街地の人口密度が低くなれば、公共交通の経営も厳しくなる。同じ乗客数を確保するためにも広い範囲を運行しなければならないからだ。そもそも市街地の郊外に居住する住民は公共交通など当てにしていない。そうして、公共交通が不便になっていき、中心市街地も寂れ、自動車がなければ買い物ひとつできない都市になった。

 実際、車社会の都市と公共交通が存在感を保っている都市を見比べると、同じ規模の人口でも街中の風景はまったく違う。もちろん、車社会の都市の街中がとても寂れている。

 これは自然現象ではなく、その都市の住民皆が自由意思で選んだことではなかろうか。その都市の住民皆の意思で自動車利用を前提にした街づくりを選んだにもかかわらず、「公共交通が不便だから車を使わざるを得ないんだ」とさも仕方なく受け入れたかのような言い方はどうなのよ。

上田駅前ロータリーにある、柳町に行くバスの時刻を一覧にした立て看板。平日は一日に100本以上のバスが運行されている。

上田駅前ロータリーにて