ふらふら、ふらふら

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日本学術会議は、「子どもが遊べる道」を作ることを提言していた!

 日本学術会議のサイトより。

www.scj.go.jp

 この提言の一節に、こうある。

住宅地の中の道
 日本全体では交通事故死傷者数は減少傾向にある。しかし、子どもの人口減少を鑑みると、年齢層別の減少傾向に比べると子どもの死傷者数の減少はそれほどでもない。3歳の子どもが 13 歳になるまで 10 年間に交通事故に遭う確率は 30 人に1人と言われる[3-44]。子どもの行動特性から子どもは交通事故に巻き込まれやすいので、子どもの行動特性にあわせて、事故が起きにくい道路、交通環境の必要性が言われて久しい[3-45]。オランダ、ドイツ、スイス、デンマーク、英国など子どもが遊ぶことを前提として、車の速度が時速 15km 程度にしか走行できないように道路の構造を改造する施策が展開されている(Woonerf, Spielstrasse, Wohnstrasse, Homezone など)[3-46, 3-47]。我が国ではコミュニティ道路、くらしの道ゾーンと事業として展開されているが、その普及にはコミュティの支持が必要であり、コミュニティの理解が課題である。また我が国のこれらの歩車共存道路で子どもの外遊びを認めるまでの道路交通法規改正がオランダやドイツのようになされていない。
 国はウォーカブルシティ(歩けるまち)を推進しようとしている。子どもが住み育ちやすい街として、遊べる道づくりを推進するべきである。なぜなら道はジェイコブズ(1961)[3-48]が指摘するように子どもが地域の大人と出会い、社会化するのみだけではなく、公共の意味を理解し、社会関係資本を担う存在となる舞台でもあるからである。社会関係資本を再構築する場として道が機能するならば、子育てのみではなく防犯、防災、高齢者ケアなどあらゆるセーフティネットの構築ともなる。
 住宅地の道は車交通のためではなく、人間の生活を中心とした文字通りの生活道路として、子どもが遊び、近隣の人々の談笑・憩いの場となるような歩車共存道路とするべく道路の構造、交通規制を再考するべきである。
 道路交通法の問題、安全性に対して誰が責任を持つのか等、課題は多いものの、かつての大田区の遊び場道路開放のように、沿道の近隣の関係が築かれることで、子育てのみならず、高齢者福祉、防災、防犯等社会関係資本が高まり、すなわち国が進めるウォーカブルシティの実現ともなりえる。まずはスクールゾーンやキッズゾーンなど、パイロット的に整備を進めることも考えられる。

日本学術会議提言「我が国の子どもの成育環境の改善にむけて-成育空間の課題と提言2020-」

 きわめてもっともな提言だ。危険で子どもが遊べない道は、子どもが歩けない道である。遊べないような危険な道を歩いて公園に行って遊べとの主張は、子どもの命を軽視した非現実的な意見だ。生活道路からクルマを追い出さなければ、子どもの交通事故を減らせない。また、歩車分離が徹底している、日本住宅公団、その後身である住宅・都市整備公団都市基盤整備公団及び都市再生機構が開発した団地では、「道路族」クレームがほぼゼロに近い事実がある。これらの団地は、歩行者が主に通る道と緑地を一体として整備し、ひとが憩えるように整備されている。そのことが、道路をクルマのためのものとしてとらえない意識を持たせているのではないか。「道路族」クレームは、道路をクルマの専有空間と捉える勘違いから発生しているとわたしは推測する。

 さらに、子どもを「自分の家の近く以外のどこか」に追い出そうとする、NIMBY的な態度と言える。子どもをそうやって排除した先は、高齢者が「PLAN75」のように排除される社会である。子どもが排除される社会で、高齢者を排除しないことを正当化することはとても困難である。よく覚えておこう。子どもの次は高齢者だ、と。