ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

スマホよりも、「スマホしかない環境」のほうが問題ではないか

 昨日ははてブで辛口のコメントをしたブログ、新しい記事が公開されていた。この記事はわたしもうなづける部分が少なくはない。

kite-cafe.hatenablog.com 昨日の当該ブログの記事では、スマホやゲーム、ファッションは百害あって一利なしと論じていらっしゃった。わたしは、ふと、疑問に思う。スマホやゲーム、ファッションに夢中になっている子どもが、最初からそれらに出会わなかったらどうなっていただろうか。その答えを示唆している記事を提示する。

「何もない」地域の現実

anond.hatelabo.jp はてな匿名ダイアリーの記事で描かれている「日本から捨てられた土地」には、スマホもゲームもファッションもない。にもかかわらず、カイト・カフェの筆者が期待したような結果にはなっていない。本当に「何もない」からだ。「何もない」から、大学進学に必要な情報もない。それが、直接大学進学からの排除になっている。

 「何もない」環境が、子どもにとってはあまりよい環境ではないことを示している。カイト・カフェの筆者も、そのことはわかっていて、「教養」は必要なものとしているし、「ピアノやバイオリン、バレエといった習い事で、これも一定レベル以上の力を持つ子たち、部活や地域のスポーツクラブで甲子園や花園・オリンピックなどを目指している子たち、書道パフォーマンスや全日本吹奏楽コンクールの上位を目指す子どもたち」はスマホやファッションなどには夢中にならないと書いている。そこで、下の記事。生まれた土地によって、あまりにも環境が違うことを訴えている。

note.com

スマホ以外の「何か」の重要性

 そのことを踏まえた上で、わたしは踏み込んだことを書く。「ピアノやバイオリン、バレエなどといった習い事」が存在しないから、スマホに夢中になる。博物館や美術館に行きやすい環境にいる子どもと、そうでない子どもでは、スマホとの向き合い方は違うだろう。「スマホしかない」のが問題だ。子どもだけで書店にも行けない、図書館にも行けない地域で、どうやったら子どもが読書をできようか。いくらスマホを取り上げても、ほかに何もなければ、結局大学進学から排除される。

 子どもの育ちに都市環境が与える影響は、あまり顧みられないように見える。実際には大きな影響を与えている。

データをいくつか

 参考になりそうなデータを二つ示す。

 お茶の水女子大学の耳塚寛明氏らのグループが行った「平成25年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究」*1である。詳細は元の報告書を参照いただきたいが、中学3年生に関しては「最も低い社会経済的背景の生徒は、「3時間以上」勉強しても、最も高い社会経済的背景グループの生徒が全く勉強していない場合の正答率を平均値で追い抜くことができない。」との結果だ。学習以外の体験が、子どもの学力に直接に影響していることがうかがえる。

 加えて、今年の全国学力・学習状況調査のクロス集計結果*2を示す。「普段(月曜日から金曜日),1日当たりどれくらいの時間,携帯電話やスマートフォンでSNSや動画視聴などをしますか(携帯電話やスマートフォンを使って学習する時間やゲームをする時間は除く)」との質問に対する回答と、各教科の平均正答率のクロス集計である。

  国語
(14問)
数学
(14問)
理科
(21問)
4時間以上 61.6 41.4 42.6
3時間以上,4時間より少ない 66.2 46.5 45.8
2時間以上,3時間より少ない 69.6 51.5 49
1時間以上,2時間より少ない 72.1 55.9 52
30分以上,1時間より少ない 73.5 58.7 54.3
30分より少ない 74.5 60.8 56.5
携帯電話やスマートフォンを持っていない 70.9 55.2 54.4

 「携帯電話やスマートフォンを持っていない」と回答した生徒の平均正答率は、それほど高くない。おそらく、スマートフォンを持たせることのできない(そして、往々にして資源の乏しい)社会経済階層であることが間接的に影響しているのだろうと推測するが、スマホを持たせなければ学力が上がるなんてそんな単純な話ではなさそうだ。

 「何もない」環境にいる子どもは、学力競争によって、大学進学から排除されやすいことを示唆するデータであった。

余談 個人的体験とそれに基づく若干の意見

 わたしが小学校3年生くらいの時のことだろうか。わたしは、初めて都営バスに乗った。都営バスの車内では東京都からのお知らせや警察からのお知らせなど、バスに乗っているだけで情報が入ってくる。わたしは、このような体験を、これまでしたことがなかった。それ以降、自分一人での時もあれば、大人と一緒の時もあるが、電車やバスで移動する体験をしてきた。歩いてバス停や駅に行き、電車やバスに乗り、駅やバス停から再び歩く。その道のりで、これまたたくさんの情報が入ってくる。人が歩くところに街ができ、街はさまざまな情報を出す。このような体験は、親が運転する車に乗って移動していたらできなかった。車という閉ざされた空間でバイパスを移動していても、外界からの情報は入ってこない。

 さらに、車依存の危険性はほかにもある。親が運転する車で出かけるのが当たり前になってしまえば、どこに行くにも親に面倒をかけることになる。そのような環境では、気軽に博物館に行けるはずもない。

 ある時、学校で、国立科学博物館の企画展があるとの情報を知った。企画展の内容に興味を持って、友人何人かで国立科学博物館に出かけた。こんなことができたのも、子どもが手軽で安全に博物館に行けたからだ。安全で手軽に移動できる交通手段があること、博物館の数が日本でも多い地域に住むことが、子どもだけで安全かつ手軽に博物館に行けることを支えていた。

 朝日新聞東京本社版の毎週火曜日の夕刊には、博物館・美術館の企画展の一覧が掲載される。北海道支社版を見ると、道内の展覧会は少なく、多くは首都圏のものだ。博物館が少ない、その少ない博物館に移動する手段がない、そんな地域に住んでいたら、わたしも、スマホくらいしか楽しみを見つけられなかっただろう。

 都市環境は、こういう形で、子どもにも影響を与えている。

【追記】

 今日見つけた記事。

tmaita77.blogspot.com 地域によって美術鑑賞や海外観光旅行の実施率が異なるとのデータを示している。ゲームを取り上げても、地域の環境が変わらなきゃ美術鑑賞はしないのでは。