ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

子どもが学校に行く権利・それに伴う義務

子どもには、学校に行く権利がある。だけど、学校に行く義務はない。義務教育の「義務」とは、子どもを取り巻く大人が、子どもが学校に行く権利を十分に行使できるようにする義務だ。子どもを取り巻く大人の義務が、子どもが学校に行く権利に伴う義務。

これは、極めてオーソドックスな法解釈だ。最高裁も言っている。

子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。

最高裁判所大法廷判決、1968年6月26日。

権利には義務が伴うとはよく言われるけど、本当の意味は、ある人の権利はその権利を請求できる相手にとっての義務という意味だ。

わかりやすく例を出そう。自分が、電車のきっぷを買った。これによって、鉄道会社に対して電車に乗せることを請求する権利を持った。対して、鉄道会社は自分を電車に乗せる義務を負った。このことを表したのが、権利には義務が伴うという言葉。法律学の事典にも書いてある。権利には義務が伴うとの言葉を、電車に乗るという権利を得るためにはお金を払ってきっぷを買う義務が伴うことを示していると考える人は割と多いけど、それは法律上間違っている。

ともかく、原理原則はそうなっている。原理原則通りにいかないのが学校教育という不思議な世界。

子どもが学校に行くのは権利なのだから、その権利を放棄するのも当然子どもの自由。ここから、「学校に行かなくても他にも居場所があるよ」と言うことが正当化される。ところが、これを拡大解釈して、子どもを学校に受け入れる義務(それは子どもが学校に行く権利と表裏一体のもの)を放棄する人たちが時々いる。

学校に対して異議申し立てをしている子どもに、「うちの学校が気に入らなければ、来ないでもらってもかまいませんよ」と言っちゃうような教師とかはその典型例。子どもが学校に行く権利(裏を返せば子どもを学校に受け入れる義務)は相変わらず残っているのだから、学校はその義務を果たさなければならない。

一方で、子どもを学校に受け入れる義務を強調すると、どういうわけだか子どもには学校に行く義務がある、だから子どもを引きずってでも学校に連れてこなければならない、という話の持って行き方をする人もいる。

なぜか、勘違いしている人がたくさんいる。困ったものだ。