ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

気持ち悪い話

 先週日曜日、AさんとわたしがBさんに性別役割分業むき出しの発言を指摘される。わたしはすぐに過ちを認め、Aさんにもそうするよう促す。
 ところが、Aさんは言葉の使い方を間違えて相手を追いやってしまったとの理由で、Aさんが行っていたプロジェクトのアカウントなど一切のアカウントの活動を終了すると宣言。性別役割分業むき出しの発言を改めるとの意思表明はなし。
 それから間もなく、別アカウントを立ち上げ、そっちでの活動を開始した様子。なんだか一昨日だか昨日だか楽しくやってたようだ。Facebookの別アカウントには、続々と友達としてつながっていく人が。
 わたしが耳の痛いことを言ったのはその通りなんだけど、これって、耳の痛いことを言った相手を体よく切り捨ててるだけ。それだけじゃない。今までつながってた人とまたつながり直してる。別アカウントにした理由をどう説明しているのかなど知る由もないが、こういう動き方そのものが非常に気持ち悪い。わたしのことを悪く書いているのではないかと疑う。

 たとえその「説明」なるものが提示されたとしてもそんなものを信用できるような状況ではない。こういう動き方をしたことそのものが疑いを持たせるものであることを自覚すること。

※事情がわからない人には何が何だかさっぱりわからない話ですが、そのような方はそのままスルーしてください。

旧警察法の前文が素晴らしい

 警察の組織などを定める法律として警察法がある。今の警察法は1954年に成立したものだが、この法律は1947年に成立した警察法の全部を改正した法律。その全部改正された1947年警察法の前文が素晴らしいので、ここに紹介する。

国民のために人間の自由の理想を保障する日本国憲法の精神に従い、又、地方自治の真義を推進する観点から、国会は、秩序を維持し、法令の執行を強化し、個人と社会の責任の自覚を通じて人間の尊厳を最高度に確保し、個人の権利と自由を保護するために、国民に属する民主的権威の組織を確立する目的を以て、ここにこの警察法を制定する。

  今もこの前文が掲げた理想は色あせてない。この理想を今も掲げて警察が仕事をしてくれれば、警察の仕事ぶりもずいぶん違ったはずなんだけど。

東京都こども基本条例可決…ん?「こども」⁉

 東京都議会が3月の定例会で「東京都こども基本条例」を成立させた。その内容よりなによりも、「こども」と表記していることに驚いた。石原都政末期から、東京都は「子供」と表記するのが通例になっているから、この通例にあえて従わなかったことになる。

 考えてみれば、子供の「供」って江戸時代からの当て字で、その前は「子共」と表記してたとかで、「子供」表記が由緒正しい表記というわけでもない。ならば「こども」表記のほうが余計な争いを生まずにいいんじゃなかろうか。

 保守派の皆さんは「子供」と表記したくてしたくてたまらなくて、その底意は子どもは親に付き従うものであることを明確にしたいなんてことだったり(上田清司前埼玉県知事が埼玉県議会でそんな答弁をしてた)。その底意を隠して日本語ではどうのこうの言ってるんだけど。

 今後、東京都が「こども」をどのように表記するか注視したい。

点と線

 あいにくの天気で、気分も乗らないが年に一度のことだと思って桜を見に散策に行ってきた。例年、世田谷区の東京農大付近から大蔵団地まで散策するのだけど、今年は大蔵団地も取り壊されたことだしどうしようかと迷って、いくつかの候補の中からサイコロで国立市大学通りを選んだ。

 大学通りの桜も景色も沿道も見事なもので、歩いていてとても気持ちがよかった。大学通りという一つの線に沿って街ができてる。それも歩ける範囲で。これがいい。わたしの住むあたりにはなかなか見つけにくい雰囲気の場所だなと。わたしが知らないだけかもしれないけど、埼玉はひとつひとつの「点」の中は見事に整備されている。ところが、その点が広い範囲に散らばってるので、散らばった点と点の間を自動車で移動する街のつくりになっている。当然、道路は車を効率よく流すことに特化していて、歩いていてあまり楽しくない。そういう街よりは、線に沿って街ができていて、ってそんな街のほうがいいな、と感じた一日でした。

50年以上前から、子どもや若者の居場所は問題になっていて、今でもどうも解決していない

 図書館業界では知らない人はいない「中小都市における公共図書館の運営」。いわゆる「中小レポート」。このレポートが、次の指摘をしている。

ただ図書館を受験勉強のためにのみ利用した青年が、将来図書館の真の利用者になるというような甘い夢におぼれてはならない。このことを知っているだけでは問題が残ろう。それは座席だけを借りに来る学生で、受験むきの図書館の雰囲気を作り出してしまうし、閲覧席が常に満員で一般成人が利用できないという問題を起こすことである。…この学生問題の発生の根は深いところにある。それを図書館だけで解決することも、また逆にこれに触れないで通ることもできない。積極的に地域の課題として問題提起をし、学校その他の機関とも交流しながら実情に応じて具体的に問題を解決する方向を打ちだしたい。

 このころから、中高生くらいの若者が放課後に過ごす場所が少ないとの問題は提起されていたようだ。そのことに対する解決策の一つが部活動だったのだろうが、部活動は教員のボランティアによって成り立っている、危ういものだった。安易に部活動やらせておけばいいだろうと考える人はかなりいるが。

 中高生が放課後公園で遊んでいるだけで、警察に通報された話を知っている。この例からわかるように、はっきり言ってしまえば、多くの人にとって中高生は邪魔者だ。そのように、邪魔者扱いするのをやめて、正面から中高生の放課後の居場所を作らなければならない。作り出すには当然負担は免れない。増税や他の行政サービスの削減といった形で。