ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「多様な学び」=うどん屋が、定食屋を増長させている

 この記事を読んで。

hyouryu.hatenablog.jp これ、定食屋が「うちの店はあなたみたいな人が入れる店じゃないです、そこのうどん屋でうどんを食べられますよ。うどんが食べられればいいでしょ?」「うどん屋が高すぎるなら家でありあわせのものでも食べたら?」と言うところまであるあるだ。そんで、うどん屋の組合は、「多様な選択肢素晴らしい!」なんて言っちゃって、定食屋が客扱いしないことを何もとがめない。それどころかうどん屋の宣伝を始める始末。うどん屋の組合を作る中心になった老舗うどん屋が始めた業界紙なんかも、「多様な選択肢素晴らしい!」一辺倒で、定食屋がある層のひとを排除している問題には取り組まない。うどん屋業界がこういう姿勢でいることによって、定食屋が客を排除することに手を貸してしまっている構図がある。

 定食屋もうどん屋もそば屋も喫茶店もある商店街で、客はその時の気分に応じてうどん屋にも喫茶店にも定食屋にも行ける、なんならうどん屋に行った後で定食屋に行ってもいい、それこそが多様な学びじゃないの?定食屋から排除されてもうどん屋もあるし家でありあわせのものを食べてもいいってのが「多様な学び」?それは違うでしょうよ。

 うどん屋業界の新聞はうどん屋=「多様な学び」を積極的に勧める論調に変わってきたが、「多様な学び」なるものをいくら充実させたところで、定食屋が客を排除している問題は変わらず、さらに言えば定食屋を頂点とした序列も変わらない。チェックアウトはできても出口はないんですよ。

 もう少し具体的に。「多様な学校」ができることで、学校になじめなければ「多様な学校に行けばいいよ」とさっくりと言うことができる。それによって、既存の学校は自らの学校文化を問い直すどころかますます強化することができる。こうして、「多様な学校」は、既存の学校が従来の文化を維持強化する手助けをしている。

 具体的には、通信制高校について、酒井朗「高校中退の減少と拡大する私立通信制高校の役割に関する研究: 日本における学校教育の市場化の一断面」(上智大学教育学論集第52号、79ページ~92ページ)が次のような指摘をしている。

…既存の高校とは異なる学校文化を備えた高校が設置され、そこに既存の高校に適応できずにいる生徒の多くが転学、編入学できるようになったことで、既存の高校、すなわち全日制の高校や定時制高校は、従来通りの学校文化を堅持する、あるいはさらに強化することができるようになっているのではないかということである。

 「制服を着たくない?ああ、私服で通える通信制高校があるよ。そっちに行ってみてはいかが?」となり、「制服」を設定していることの問題点は問われにくくなっている。1990年代、子どもの権利条約が批准され、学校もこどもの権利の観点から問い直されるようになったはずだった。ところが、その「問い直し」の結果が「多様な学校」だったことに失望を禁じ得ない。
 ああ、「ホテル・カリフォルニア」。「外部」はない。チェックアウトはできても出口はない。

toled.hatenablog.com

教育の機会均等とは?:埼玉県の県立高校エアコン設置

 埼玉県は県立高校の普通教室のエアコン設置について、ずいぶん長い間PTAや同窓会の費用負担で設置するものとしていた。2018年に方針を転換し、県の予算で設置するように予算措置を行った。この時点でエアコンが設置されていなかったのは児玉白楊、岩槻北陵、大宮中央、鳩山、越生小鹿野、春日部工業の7校であった。この7校のうち、大宮中央高校は定時制通信制の独立校で、通信制の生徒のほうが多い学校だ。財政基盤がしっかりしたPTAや同窓会組織があるとは考えにくい。結果として、埼玉県の方針は、シビアな状況にある生徒が多いであろう通信制課程の高校をエアコン未設置のまま放置することになった。教育の機会均等ってなんだったんだろう、通信制課程の生徒への放置っぷりがすごいとかいろいろ考えてしまう。

PTA未加入者の卒業記念品―「債務不履行リスク」を考えると。

 この記事。

mainichi.jp まあ、いろいろギスギスしているなあ、せせこましいなあとは思った。PTAってのはその学校に通うこどもすべてのことを考える組織なんだから、保護者が非会員だからと区別することなく卒業記念品を贈与したらいいじゃないですか。PTA会費も贈与ならば、卒業記念品も贈与。なんなら、地域住民からの時宜にかなった贈与も受け入れるようにしておいてもいい。PTAを支えるのは贈与の束である。そういうことにしておいた方が何かと平和でよい。

 …と、こう書くと、何やら牧歌的に過ぎるだとか、会費も払わないのに記念品だけ受け取るフリーライダーを許容するのかだの言われるのは目に見えている。それでも、あえて、贈与として整理しておいた方がことは平和に済むと主張したい。

 仮に、卒業記念品をPTA会員のこどものみに渡すとしよう。そうすると、PTAは、会費を受け取ると同時に卒業記念品を引き渡す債務を負う契約を締結することになる。さて、ここで問題になるのは、PTA会員でありながら卒業式に出席しない・できないこどもの卒業記念品だ。PTAは卒業記念品を引き渡すべき債務があるのだから、卒業記念品を引き渡さないことは債務不履行になる。いじめや不適切な指導によって学校に行けない状態になったまま卒業式を迎えてしまったこどもの場合、このような「債務不履行」が起きるリスクが高くなる。こどもが卒業式に出てこなければ、紅白まんじゅうも、バウムクーヘンも渡せませんよ?まして、訴訟が起きていて、卒業証書を法廷で渡すなんて事態になるまで学校とこども・保護者の関係がこじれていたら。ますます紅白まんじゅうやらバウムクーヘンどころじゃなくなる。ってか、わたしがそうだった。親がPTA会費は払っていたが、卒業記念品は渡されてない。これって債務不履行になりません?もう今さら時効だからわざわざ訴訟を起こすこともないですけど。ただ、そこまでこじれにこじれ切っている保護者とこどもが、この際PTAを債務不履行少額訴訟を起こすことは考えられるわけだ。そうなったらどーします?債務不履行にならないために内容証明で受取の催告を出します?ああ恐ろしや。余計こじれそう。

 卒業記念品は贈与ってことにしておく方が平和だと書いたのは、まさにこのような理由だからである。贈与ならば、取りに来ないなら後から文句を言うなと法的に言えますけど。せせこましいことを言うことは、PTAを縛ることにもなることには気づきたい。「贈与」として整理する方が何かと平和である。

女性専用車両に男性が乗る権利はあるが、そんなことした男性が冷たい目で見られるのは受忍しなきゃね

 女性専用車両に「抗議乗車」と称して乗車した男性乗客が、女性乗客から暴行被害を受ける事件が発生したらしい。まあ、暴力はよろしくない。女性専用車両に男性が乗車するのは不当ではあっても違法ではないのだから、正当防衛が成立する余地もない。

 とはいえ、先も述べた通り、女性専用車両に男性が乗車するのは不当ではある。かくのごとき不当な行為に及んでいる男性に対し、シュプレヒコールなどによって批判を行うのは表現の自由の範囲内と言える。たとえば、下の動画のようなものである。

www.youtube.com 社内の女性客が一斉に「降りろ」コールをしているが、これは明白に表現の自由の範囲内。これを取り締まるのは表現の自由の侵害。乗車している男性にとっては不快極まりないかもしれないが、表現の自由の範囲内なのだから受忍してもらうしかない。

 女性専用車両を最初に提案したのは、弁護士の今井秀智さんだったと記憶しているが、氏は、女性専用車両に法的な強制力を持たせられないとの認識はあった。なので、男性客も乗車していい車両ではあると述べた。ただし、女性専用車両に乗車した男性が周りの女性客から冷たい目で見られるのは受忍しなければならないとの論を立てていた。提案者の論からすれば、女性客に「降りろ」コールをされ続け、居心地の悪い思いをするのは、女性専用車両本来の趣旨と言える。

 それと、女性専用車両の議論にローザ・パークスを持ち出してくるのは失当。女性専用車両は、女性が不利な立場に置かれていることを少しでも緩和するために設定されたもので、女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約第4条第1項が認めている「男女の事実上の平等を促進することを目的とする暫定的な特別措置」だ。そして、未だに、「機会及び待遇の平等の目的が達成された」とは言えない。ちなみに、女性専用車両反対派が推す防犯カメラは、その名に違えて防犯効果は限定的だ。車上狙いなどの車両関連犯罪には効果が確認されているが、その他の犯罪には効果があることが実証されていない。

障害者施設の職員が権力を持ってしまうのは避けられない。残念ながら。

 これは障害者施設という状況が大きく影響していると見た。どれだけ「ご利用者様の自己実現を目標として業務をしています」と言っても、施設職員が権力を持ってしまっている事実はある。脱施設化が予算削減の口実に使われることはよろしくないが、脱施設化そのものは必要な理由がここにある。え?権力なんて持ってないって?またまたぁ、じゃあその「ご利用者様」が夜更けに「バナナを食べたい」と言ったときに、「こんな夜更けにバナナかよ」とぼやきながらバナナ買いに行くんですか?そういうことですよ。

nordot.app 地域移行した障害者がいかに悲惨な生活をしているかを強調して、施設生活が良いと主張する向きもある。わたしに言わせれば、地域移行した障害者が悲惨な生活をしていることが、施設生活が良いことを示す根拠にはならない。単純にチェックアウトはできても出口はないだけのことだ。そう、学校から逃げたところで、学校化社会の「外」に逃げられたわけではないように。

toled.hatenablog.com