ふらふら、ふらふら

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しょうけい館で「傷痍軍人」向けの乗車証を見て以来のもやもや

 ひっそりと前回の記事の続きだったりする。前回の記事はこちら。

「弱者権力の乱用」なる恣意的なレッテル - ふらふら、ふらふら

 しょうけい館で、終戦前の「傷痍軍人」向けの乗車証を見たとき、「障害者向けの運賃割引のルーツはこれか!」と直感した。実際に、日本の障害者福祉は傷痍軍人対策から始まった*1身体障害者への福祉が進んでいるのは、もともと「お国のために戦った兵隊さん」への補償も含んでいたからだ。

 その後、戦傷病者特別援護法が制定され、戦傷病者の国鉄線の無料乗車制度が始まった。国鉄が民営化されたあとも、JR線の無料乗車制度として続いている(費用は国庫負担)。戦傷病の治療も全額公費負担だ。それだけではない。戦傷病者戦没者遺族等援護法などにより、年金も支給される。

 ところが、空襲の被災者には、なんの補償もなかった。戦時中にあった「防空法」に定められたとおりに避難せず、空襲に果敢にも立ち向かった被災者にも。空襲の被災者らが補償を求めて運動していたとき、次のような誹謗中傷が投げつけられたという(NHKスペシャル「忘れられた戦後補償」*2による)。

「生きているだけでもありがたいと思え」

「戦争で苦しんだのはお前たちばかりではない」

「国家の責任にし金をせびり取ろうとする浅ましい乞食根性」

「欲張り婆さん今さら何を言っている」

「そんなに金が欲しいのか」

 今なら、「弱者権力」なんて揶揄されて敬して遠ざけられるだろうか。ともかくも、「お国のために戦った」戦傷病者へは総額60兆円を超える補償がなされたのに、空襲被災者には一円も補償はなかった。

 わたしの祖父は戦傷病者だった。国鉄の無料乗車制度を大いに利用して、度々旅行に行った。傷痍軍人会の旅行もあったという。同じ街に、なんの補償もされず、国鉄の運賃も自己負担の空襲被災者が住んでいた。このあまりにも大きな差を正当化する理屈はなかなか考え出せない。そこに至るまでの経緯は複雑で、政治的な力学が絡まり合っていたのは事実だ。その複雑な経緯を説明した「忘れられた戦後補償」をご視聴いただきたい…って、NHKオンデマンドから消えてるんですが。―と思ったら「クローズアップ現代」も取り上げ、その内容がNHKサイト上に書き起こしされていた。*3

 都営交通乗車証を使って「都営無双」なんて言ってあちこち遊び歩くひとには何も言われないが、車椅子を使うひとが鉄道を利用しようとしたら「弱者権力」などと袋叩きに遭う。

 このように、「乞食根性」「弱者権力」と分類する線は恣意的で、それにもかかわらず困難を抱えたひとの生を否定する強烈な意味合いを持つ。相模原で多くの障害者を殺傷した犯人と同じ「選別」を行う言葉だ。そんな言葉、使うのを否定する文脈以外で使ってはならない。

 前回の記事にはちらほらと反応が見られたが、それらの反応のすべてが、弱者権力なるものがあることを認めたうえで、自分が弱者権力なるものを行使してないことの申し開きだった。社会的に脆弱なひとを何らかの形で支える活動をしているひとたちのこの反応。「弱者権力」なる表現の正当性を認めてしまっていた点が正直残念だった。

 この記事の論題に直接関係あるわけではないが、共感したウェブ記事をリンクしておく。

高浜敏之代表が物申す!シリーズ②