このツイートをたまたま見つけた。
『路上を子どもたちに返す』を読んで - おたまの日記 https://t.co/JRpGETJAB4
— seaget (@hotaniya) 2022年1月29日
拝読しました。
こどもが起こした事故や物損を、大人がしっかり責任を取る信頼関係ができていれば、素敵な視点なのかなと思いました。
家屋や車輌が損壊されても誰がやったのか名乗り出てもくれない(続)
今道路を占拠している自動車運転者と歩行者の間に、しっかり責任を取る信頼関係なるものってありましたっけ?氏は、このツイートも続けている。
繰り返されると仕方なく防犯カメラを付けて対策するしかなくなる。この時点でもう信頼関係の構築はかなり難しくなる。
— seaget (@hotaniya) 2022年1月29日
聞いてもしらばっくれるからもう家の前で遊ばないでくれと頼む。
すると次は嫌がらせが始まる。
これが道路族に悩む多くの人の現実ではないかと。
(続)
まあ、防犯カメラ程度で済むのでしたらまだマシなんじゃないですかね。自動車に関しては、警察が専門の部門を設けてまで取り締まりなどしなきゃいけない状況にある。警察が取り締まらなきゃ、自動車はやりたい放題。やりたい放題の車に殺されたくないから、歩行者は自動車を避ける。とても、「しっかり責任を取る信頼関係」などありませんよ。自動車と歩行者の間に信頼関係があるように見えるとしたら、警察が強制力を持ってるからだ。
で、氏は、自動車運転者と歩行者の間に築けていない信頼関係なるものを、子どもを育てる親には求める。自動車に甘く、子どもに厳しい。ダブルスタンダードだ。自子どもの事故や物損も、法律に基づいて紛争処理されれば、とりあえずそれでよしとしなければならない。自動車事故を含む世の中のほとんどの紛争で「信頼関係の構築」などできてないことを踏まえれば。