ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「不要物」だからこそ、必要なのである

 教員はよく言う。ツーブロックなどどうでもいいだろう。色のついた下着などどうでもいい。そんなことよりも勉強のほうがよっぽど重要である。学習に必要のないものはすべて不要である。と。

 わたしは、そのような論理が、「不要不急」の名の下に吹き荒れた3年間を想起する。「不要物」をどんどん切り捨てたあとの世界は「PLAN75」だ。ぶっちゃけ、日本経済のためならば、子どもをしごくよりも、働けなくなった高齢者を「安楽死」させる方がよっぽど効率的である。しかし、それは、非人道的行為である。人間の存在そのものを否定するからだ。

 「無駄」を切り落とし、ひたすら学習にのみまい進するように仕向けることは、人間の存在そのものの否定だ。

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 だれだって、ボロボロのつなぎを着せられて、10人が一部屋に詰め込まれる「老人ホーム」には入りたくないだろう。

 そんなことを端的に示したまとめ。

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