ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

ひとがケアを必要とする「面倒な存在」であることを忘れてやしませんか。もちろん、移民労働者も同じ。

 人間は、実に面倒な生き物である。生まれてから18年くらいは誰かが世話をしないと生きていけないし、病気にもなれば怪我もする。年を取ればまた誰かの世話を必要とする。そんな、面倒な存在が人間だ。言い方を変えれば、人間はケアを必要とする存在だ。人間がケアを必要とする存在である事実を受け入れることを拒否したことが、日本の行き詰まりの大きな原因ではなかろうか。

 そんなことを考えたのは、このニュースを見たから。

digital.asahi.com 働けているうちはニコニコしながら労働力をしっかり受領した日本国が、いざケアが必要になったらガーナからケアを受ければいいと言わんばかりの判決。移民をロボットかなにかと勘違いしたかのような、血も涙もない判決。移民だって人間だ。ケアを必要とするのは同じだ。移民労働者を受け入れるのなら、ゆりかごから墓場までのケアを引き受けるのが人の道ってものではないのか。それができないなら、移民労働者など受け入れてはならない。ただし、移民労働者を受け入れないならば、スーパーからレタスさえ消え、要介護の高齢者は介護も受けられずに見殺しにされる覚悟が必要だ。移民労働者に高齢者介護をしてもらっておきながら移民労働者の介護はしないなんて搾取は虫が良すぎるにもほどがある。