ふらふら、ふらふら

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ひきこもり当事者活動の世界に根強く染みつく「免責の文化」

 不登校新聞社の石井志昂氏を対談イベントに呼んだ斎藤環氏に、栗田隆子さんが異議申し立てをした。栗田隆子氏の異議申し立ての背景にあるのは、東京シューレにおける性加害事件だ。東京シューレ性加害事件で直接に加害行為を行った人物は、不登校新聞でも活動していた。それも性加害行為に及んでいるのと同時期に。そのことに対する償いも済んでいないのによくもまあ斎藤環氏は対談イベントに呼んだものである。

 栗田隆子さんはこの件に関するポッドキャスト配信もされたのでそちらもお聞きいただきたい。

https://www.spooncast.net/jp/cast/5695658

 このイベント、栗田隆子氏のほかに勝山実氏も登壇する予定になっていた。勝山実氏は予定通り登壇した。栗田隆子氏の異議申し立てに対して何の反応もすることなく。そのことについて、今も被害者の方、また心あるひとから問いを投げかけられている現状だ。

 このような勝山実氏の行動の背景に、ひきこもり業界に根強く染みついている「免責の文化」があるとわたしは見た。犯罪予告をして警察に説教されてもなお被害者に謝罪ひとつしない人間がのうのうと活動している。「ひきこもり当事者男性に当事者女性をあてがえ」との発言を無批判にブログに掲載した人間もひきこもり当事者活動の世界では人望を保っている。ひきこもり当事者活動業界は、この二人に対し自浄作用を持たなかった。二人とも相変わらず人望があり、平然と活動を続けている。

 そんな二人が活動を続けていられるのは、ひきこもり当事者活動にかかわるひとが、次のような思想を共有しているからである。

 「全体の利益」が何を指すのかは不明瞭だが、現に人権侵犯を受けたひとの被害回復は「全体の利益」に含まれていないのは明白だ。「全体の利益のためには清濁併せ呑む度量」で、人権侵犯を「免責」するのがひきこもり当事者活動の世界の文化。今回は最も端的に表したツイートを引用したが、このツイート主個人のみの問題ではない。ひきこもり当事者活動の世界には、「免責の文化」が根強く染みついている。

 この、「免責の文化」にどっぷり浸っていれば、勝山実氏が斎藤環氏との対談に登壇したのもうなづける話だ。「全体の利益のため」に、性犯罪被害なんて「個人の感情」より「清濁併せ呑む度量」を見せたのだろう。これをわたしは「免責の文化」と名づけた。ひきこもり当事者活動の世界が「免責の文化」に強く影響されているのを知っているわたしは、勝山実氏の行動もさもありなんと考える。

 

過去に多くの人が 愚かな者が 幾千億年前の星の光見て 戦をしたり 罪犯したなら ぼくもまたそれを繰り返すのか

サザンオールスターズ愛の言霊〜Spiritual Message〜」より

 

【追記 2024.1.18】

 この記事では@medium02091氏の投稿を引用したが、氏個人の問題だと考えないでいただきたい。氏の投稿を引用したのは、ひきこもり当事者活動の世界にはびこる思想を最も的確に言語化しているためで、氏のみをつるし上げる意図はない。

 「人望がある」人間の非違を、「清濁併せ呑む度量」で見逃した。これはひきこもり当事者活動の世界にかかわるすべての人間の罪だ。ひきこもり当事者活動の世界にかかわるすべての人間の手が血にまみれていることを自覚されたい。