ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

ときどき出てくる「ウチとソト」

「ウチとソト」での区別、ときどき現れる。「ウチ」には寛大なのに、「ソト」には冷酷。いくつかの例を書く。

ベビーカーを使う人にやたら冷たい。タクシーを利用したらよいとか、マイカーを使えばよいとか、とりあえずベビーカーを使う人が電車やバスを利用するのが許せないようだ。その割に、そういう事をいう人は自分がタクシーを使うとかはしない。これ、「ウチとソト」で区別してる。自分は「ウチ」だから、寛大に。ベビーカーを使う人は「ソト」だから、冷酷に。そうそう、ベビーカーを使う人に対して「家族で何とかして」って意見も聞かれる。これも、ベビーカーを使う人の「ウチ」で何とかしろってことよね。

犯罪被害者に対する態度にも、「ウチとソト」が出てくる。京都アニメーション放火事件の被害者は、多くの人にとって「ウチ」だから、多額の募金が集まる。一方、新聞の社会面に何日かに一回は必ず掲載される、名の知られてない人が被害者になった殺人事件には募金は集まらない。そういう人は「ソト」だから。

女性専用車両をめぐる議論にも、「ウチとソト」は出てくる。一部の男性にとって「ソト」である女性の不利益など知ったことではないようだ。だから、女性に対してやたら金がかかる「自衛」を平然と提案する一方、「ウチ」である男性に負担がかかる女性専用車両には反対する。

「ウチとソト」を区別して、なるべく「ウチ」で処理するようにしようとの通念の結果、元農水事務次官は殺人事件を引き起こした。

ところで、こういう「ウチとソト」の区別には、あまり正当性はないことは少しばかり考えた方がいい。京都アニメーション放火事件の被害者と、新聞の社会面のベタ記事扱いの殺人事件の被害者で、被った害が違うわけではない。こともあろうに、政府まで乗り出して、京都アニメーション放火事件の被害者への募金に税制優遇措置を講じた。すでに犯罪被害救援基金という法人が存在したのに、京都アニメーション放火事件の被害者を特別に扱った。あまり正当性がないような区別に、政府まで乗っかった。

ウチとソトの区別は、ここに書ききれないほどたくさんの場面で、私たちの行動を左右している。その区別に正当性などなさそうなのに。